震災日録 2月2日 高台からなぜ戻るのか?

毎日何となく体調不良、喉が痛い。
寒いところにいすぎたせいか。でもヒートテックは化繊でだめだしなあ。絹の下着を着ています。さいきん「官僚」と言う文字を見ただけで吐き気がするようになってきた。「興す」という字もだめ、興業、興産なんて会社がこの日本をずたずたにしてきたから。「開発」という字も活性化という字にもアレルギーをおこしているわたし。
山口弥一郎『津波と村』(昭和18年の復刻、三弥井書店)を読む。明治28年と昭和8年にも大変な津波に襲われて村がなぜ現地に戻ってしまうのかを研究した在野の民俗学者の本。せっかく高台に移動しても誰かひとり海際に降りて大漁でもうけたり、後から入ってきた漁師がいい目を見たりするとどうしてももとのところに戻りたくなると言う。『1人でも降りたらおわりです』と山口さんは話していたと言う。おすすめ。
午後、妙蓮寺の矢萩多聞さんの家で南インド料理をご馳走になる。