震災日録 10月24日 越後の粟島

越後の粟島に行く。新潟まで新幹線。稲穂一号で村上へ、乗り合いタクシーで岩船港。
そこからあわしま丸で1時間半のこの島へ私はなぜいくのか? 脱原発デモも国民投票も大事だと思うけど、反対する以上に、別の未来を提示することが大事だと考えるからだ。原発のいらない、スローで豊かな、小さな楽しい暮らしを。それを谷根千でもして来たつもりだし、でも谷根千では東京電力、東京瓦斯、東京都の下水道、地下鉄やタクシー、人ごみと縁を切ることはできない。それにしても人ごみってスゴイ表現だね。自分以外の人はみんな「混み」。もっといえばゴミ。なんでこんなに並んでいるのよ、とぷんぷんしながら国立博への列の最後尾についたおばさんを見たが、そんな感じ。あんたが並ぶからだよ、とは怖くていえなかった。
粟島は350人の人口で合併していない。島には小さな発電所、フェリーでも外の車は島内に持ちこまない、じいちゃん、ばあちゃんが田を耕して、魚を釣って静かに暮らす。むかし粟島馬というのがいてその聞取りを頼まれた。昭和7年に最後の一等が絶滅したという。