震災日録 10月6日 居住の自由

谷中コミュニティ・センターのことでいろんな人に会う。なんで町会を通さずに意見を言っていけないのか、民主主義者としてはわからない。
今回の震災でコミュニティの大切さばかりが強調されているが、むしろコミュニティが抑圧的に働いたことの方が大きかったのではないかと、あまのじゃくの私は考える。
フクシマの水素爆発、あれは核爆発だという人もいるが、あのときアメリカ大使館などは80キロ圏からアメリカ人を退避させた。日本という国家もそうしていれば、今のようなこと、そして5年後に起こるであろうことは防げたと思う。牛だって馬だって放置せずに山を越えて山形県や新潟県に非難させればよかったのだ。福島の人々はそれからも逃げていない。家族がばらばらになるのはいやだ。ふるさとからはなれたくない。まわりの人に逃げたと言われたくない。老母を置いて行くわけにはいかない。これだけ手をかけて改良した農地なのに。すべてわかる。よくわかる。しかしそんな愛郷心が子供たちの未来の生活に影を及ぼすとすれば……。ノマドとなったほうがいいのかも知れない。
自分が逃げないことを選んだなら少なくとも逃げた人の悪口は言わないほうがいい。日本国憲法は居住の自由を認めているのだから。