震災日録 6月13日 追分温泉にて

朝早くの新幹線で寄田勝彦さんと石巻へ。JR東日本は新幹線使ってどこまでも1日1万円キャンペーンをしており、見舞やボランティアで大変な混雑。仙台で東北本線に乗り換え、松島へ。そこから車で石巻へ。松島は思ったより津波の被害がひどくないように感じた。波の当たる角度とかもあるのだろう。熊谷産業へついて昼ご飯。ちいさなプレハブの社屋には来客引きも切らず、事務の女性たちもその喧噪の中で仕事を続けている。1時に坂下清子さんが現れ、ツナミカの手仕事について相談。そのあと熊谷秋雄さんの案内で、なくなった本社のあと、北上町役場のあとを見て回る。秋丸の信じられないような美しい宇宙、アカマツの林をはしっていると雉子のつがいが飛び出してきた。「わあ、きれい」というと熊谷さん「うまそう」という。ここでなにができるか。夕方、被災した田んぼの見える露天風呂に入る。夜はまた追分温泉にお世話になる。避難者は4月より増えているのみならず、工事会社の人たちもいて少し雰囲気が違う。4月のときかわいかったさくちゃんが心なしか大きくなっている。みんなのアイドル。

ここで働いているSさんの話。「地震の時は家にいました、夜勤明けの長男とのんきに大自然の驚異だねえ、などと釜谷のほうを眺めていました。まさかこんなに北上川を津波がさかのぼってくるなんて。見てるばあいでない、と長男が言って、軽トラに乗って逃げました。となりの小父さんも地震のあとで戸板を直していましたので、「早く逃げらい」と声をかけました。途中で孫を2人連れたおばあちゃんも引っ張り上げて、橋のところへ来たらもう車が流れてきた。左折して長尾の友だちのところへ行ったらそこは高いので大丈夫だった。雪がふってきて、何も上衣を着ていないのに気がつきました。外で火をたいてあったまっていると、誰か来て「追分温泉に行けばいい」というので車で行きました。ここはその日から布団に寝られてありがたかった。よそでは毛布1枚で震えてたって。お父さんはデイサービスに行ってたので、そことも連絡がつかなかったけど、高台だからきっと大丈夫だって、信じるしかなかった。1週間後、行ったけど動けないからごめんね、ここにいてね、といったの。それで息子とここで過ごしています。お父さんが倒れてから田んぼは人にお願いして、私がここで働いてどうにかやってきました。二男も熊谷さんとこで働いていますし。お父さんがどうしても帰りたいというので、一度連れて行きました。変わり果てた我家を見て言葉に障害があるのであーあーとしか声が出ません。が、いま帰れないことがわかったみたい。そうですね。なくしたもので残念なのは、お父さんがリハビリで塗った絵がたくさんあったのにね。あれがあればねえ、せっかく塗ったのに。あと息子が南の島を旅したときにたまたまインタビューされた新聞の記事とかね。預金通帳? たまたま持って逃げたバッグにはいっていたけど赤字だからそれはどうでもよかった」

20年世話した夫にこんなやさしい目を注げるなんて素晴らしい方だと思いました。