震災日録 6月4日 霧島神宮

あさ、熊襲の穴というのを観に行った。ここは古事記の大和武尊が河上武を女装して撃ったという伝説のあるところだ。いかにヤマトタケルが美男子だとしてもこういう卑怯な手は許せない。しかも殺される間際のカワカミタケルが「この方は天皇の御子なるぞ」といって手下を制し、タケルの一字を献上したというのも古事記史観で眉つばだ。それにしてもヤマトタケルも九州からわが吾妻までよく移動するものよ。最後が杖により白鳥になって死ぬところは悲しくていいけどね。弟橘姫入水のはなしを思い出し、また津波の死者を思う。

運転手さんに「3・11以降、お客は減りましたか」と聞くと、「その前に新燃岳の噴火ですっかり減ってしまったから、今はむしろ戻っているんじゃないですか」とのこと。新燃岳は近いが霧島や妙見温泉には関係ない向きに煙は行っているのだから風評被害だという。霧島神宮は天孫降臨のニニギノミコトなどが祭神。その故地は高千穂河原といって、ここも1235年の御鉢の噴火によってお宮が焼失、いまのところに移ったというのだから、火山帯にある日本人は地震や噴火と共存しながら古来生き続けて来たことになる。運転手さんは「鹿児島の誇りは桜島です。あれが噴火しつづけてくれているので鹿児島は地震が少ないんですよ」ガス抜きも必要だというわけだ。最後の霧島ツツジがちらほらと咲いていた。6時半家に到着、溜まっているメールを片付け、新聞を読む。

東京新聞は読者投稿欄が面白い。70代80代の老人たちが過激にまっとうなことを言っている。東電は解体しろとか、被災地のために働かない代議士はみんなやめろとか、生きているうちに本音を吐いた方がいいものね。

双葉町が町あての義援金を被災者に配らないで「避難民の中から犯罪者が出てご迷惑をかけた」として避難先の埼玉県騎西町にあげるらしい。人がいいというかバカというか。愛知県東海市では住民から集めた支援物資のうち姉妹都市釜石市から要請のなかった粉ミルク、紙おむつなどを市内の保育園などへ回したが、買って送った市民から「趣旨が違う」と苦情を受けあわてて回収したとか。誰か使えばいいじゃないか。市民も市民、役所も役所だ。こんなだから支援物資は受付けません、になるのだ。みんなを苦しめるこの公平原則。その陰にもっとおおきな不公平がいっぱいあるのに。白鵬ら人気力士岩手県山田町へ、いいぞ。皇太子は山元町山下小学校へ、たしかにあそこは素晴らしい避難所だった。渡邊校長がなつかしい。だけどもっとひどいところを見てもらいたい。