震災日録 5月25日 田端がひどいことに

「週刊金曜日」によれば若い女性が避難所を出る方たちのため、新生活スターターキットをつくりはじめたが、行政には「みんな同じものを作らないと公平でない」と協力を断られたとか。膨大にある支援物資を配れないのも、一部のひとだけに配ると不公平だから。義援金もおなじ。現場で自分で判断ができないから、責任とれないからいつも上司や本部に聞いてからになるのでなんでも遅れる。ホールボディカウンターを持っている病院もあるが、住民が測ってほしいといっても福島県立大野病院は「霞ヶ関の許可がないとだめ」といっているらしい。

今日朝、中島岳志さんたちと田端を歩く。久しぶりだが、赤紙の仁王様から北側の斜面が大規模住宅開発でポプラ坂までものすごいことになっていた。あのうらうらした畑のあったステンドグラス作家小川三知の旧居あと、何も風景がない。津波が来なくても故意に風景が壊されることもあるんだ! 工事現場には東京都と書いてあったが。北区のホームページより。

「田端駅二丁目周辺地区において、土地区画整理事業により都市基盤が整備されることに伴い、地区の特性に応じた街並みの形成による暮らしやすい住環境を確保するために定められた地区計画の内容や該当区域等を掲載しています。【平成18年決定】」