‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

12月6、7日

2011年1月27日 木曜日

毎日映画コンクールのドキュメンタリー部門。二日で7作品みてもうへとへと。どうにか受賞作を出したかったが、去年のように、ひとつ頭を抜け出したものがなく、長時間討議したが該当作なしに決定。

12月5日

2011年1月27日 木曜日

オヤジのダッシュ村というべきか、千葉でみそ造り。去年作った味噌も持ち帰る。豚汁がおいしいのは生姜がはいっているかららしい。

12月4日

2011年1月27日 木曜日

『彷書月刊』が終巻になるのにともない、感謝する会が行われる。たくさんの知人にあう。
編集長の田村さん、奥さまにともなわれて出席。その場から病院に帰っていかれた。
たのしい15年前を思い出す。

12月3日

2011年1月27日 木曜日

日経ヘルスの福島さんからインタビュー記事送られてくる。このかたはわたしの体を気づかって、足を冷やさないブーツと肩を温める小豆の袋を持ってきてくれた。ありがたいことだ。

12月1日

2011年1月27日 木曜日

高知県安芸市の山奥にすむ圭子ちゃんが、嫁いだばかりで服を買いにいく暇もお金もないというので、家にある適当な服をダンボールで送ったのだが、サトコはそんなの失礼じゃない、と言う。それで心配していたが、「どれから着ようと迷っています。子供の頃も近所のお姉さんのお下がりをもらうのが好きでした」とメールがきてほっとした。
『暮らしと健康』で『明るい原田病日記』をインタビューしてくださるというので行く。なんと担当の佐藤さんはヤマサキの図書館のカウンター仲間だったとのこと。
この日、上野池之端東天紅で谷中のお父さん、野池幸三さんの本『人生っちゃこういうものよ』の出版を記念する会行われる。200人以上集まったが、なんといっても圧巻は最後の野池さんの手品。

12月

2010年12月30日 木曜日

家の前の駐車場が月極でなくコインパーキングに半分なった。なぜかな。米屋さんで宅急便は便利だわ、と言ったら、だからみんな宅急便で米を買って米屋が立ち行かなくなるのよ、といった。そうかも。
最近、雑誌の取材で顔写真をメールで送ってくれというのが多い。そのぶん、フリーのカメラマンのしごとは減っているに違いない。

うちのテレビはNHKーBSの1と2しかみられない。1はほとんどみるものはない。朝の「おはよう世界」と夜の「世界のドキュメンタリー」くらい。旅先で民放をみるともっとみるべきものはない。民放はものを売るためと、大宅壮一の言った通り「一億白痴化」のためにある。地デジになったらテレビをやめてNHK視聴料を二万数千円うかそうか、一年の年収にくらべて視聴料は高い。
久しぶりにみると民放の一時間ドラマに昔は2度くらいしかコマーシャルがはいらなかったが今は4、5回ははいるような。

国会の審議に応じない議員がいるのはいいが、その分歳費から日割りでさっ引くべきではないか。文京区の議会の傍聴に行ったことある? と聞かれ、ないと答えたら、一度行ってみな、みんな昼寝してるから、と言っていた。今度行ってみよう。

運転する友達が、「あ、わ印だ」というから、なんか春画でも見えたのかと思ったら、わナンバーはレンタカーで道を知らないから急に曲がったりして恐いのだそうだ。

11月30日

2010年12月30日 木曜日

根津教会でウードというアラブ楽器の音楽会。ウード奏者はフランス、日本などで演奏している。そして10戦争で両親が劣化ウラン弾に被爆し、生まれたときから目の見えないムスタファは素晴らしいアーティストだった。おわって映像ドキュメメントのなかまと小松で飲む。

11月29日

2010年12月30日 木曜日

相撲のガバナンス委員会。

11月28日

2010年12月30日 木曜日

午前中は仙台空襲記念館を訪ねる。1000人が亡くなったとか。しかし歴史的建造物がないことを空襲のせいにしてはいけない。県立博物館も内容があった。支倉常長とかもっと勉強したいな。午後はメディアテークで仙台市長奥山恵美子さんと読書について対談。私の本もよく読んでくださったし、生活感覚もあり、いままでで一番政治家らしくない政治家。好感を持ったが、それが問題だと言われます、と市長。

11月27日

2010年12月30日 木曜日

仙台へ早めに着いて、一人で地下の寿司やへ。そのあと仙台文学館で『即興詩人』に付いて講義。帰り、仙台で一人で牡蛎、マテ貝などで一杯。明日もあるのでライブラリーホテルに泊まる。ここはとてもいい。へやはマッサージ機つき。朝ご飯がおいしい。