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中野にある「平和の門」を守る地元の運動にお呼ばれし、「十字舎房の文学者たち」と題して話をする。豊多摩監獄というから私も多摩の方にあるのかとおもってた。中野にあったのね。設計の後藤慶二についてはすでに、内田青藏さんたちがしっかりと調べ話している。37歳で夭折した後藤慶二の設計、監獄の門というのにマンサードやね、レンガ蔵、。この門以外、のこされていない。

しかしここには戦前自由と平和を希求してとらわれていた人が多くいた。

中野重治、壺井繁治、埴谷雄高、三木清、大杉栄、堺利彦、河上肇、大塚金之助、荒畑寒村、亀井勝一郎、村山知義、土方与志、・・まあよくもこんなに入れたわね。もっと知られていない人も含めればどんだけ入れたのか。治安維持法は大正14年に普通選挙法と抱き合わせで成立、しかしのちに死刑や無期懲役まで刑が重くなる、最初に反対しないとあとがひどい。起床、作業、食事、排泄、風呂、運動、面会、寝具、差し入れ、余暇、わからないことばかり。講演を頼まれて泥縄勉強ですが、大変興味を持ちました。その門は監獄とは思えないほど美しくメルヘンチック。ぜひ平和の森小学校の中に戦争遺産、いや平和と自由の遺産として残して、子供達と遊び考える場を作ってほしい。