朝7時半に高見さんが迎えにきてくれ、パンとコーヒーとみそ汁と柿サラダ。
柿とマヨネーズはよく合う。それから友愛社見学。石井十次の名前は知っていたがこれほど大きな足跡を残した人とは知らず。友愛社は今も11の保育園を経営、孤児院(児童養護施設)やグループホームもあり、広い敷地には子どもたちが植えたカンナなど、花が咲き乱れていた。
石井十次は高鍋藩の下級武士の子で4番目に生まれた待望の男の子だった。岡山医学校で勉強している最中に、四国八十八ヶ所を巡礼中の母親に男の子を託される。その一家は5人で巡礼中夫と子ども1人を失ったのだった。石井は医学をやめて孤児救済事業に乗り出す。濃尾平野の地震で親を失った子どもたちをすくい、岡山に孤児院をつくる。東北冷害で食べ物もない子どもたちも収容して1200人になった。そのころの支援者に後藤新平や大隈重信、徳富蘇峰もいる。留岡幸助や内村鑑三からの手紙もあった。
大きな支援者としては倉敷の大原孫三郎がいる。彼は早稲田の学生の時、富豪の子なので吉原通いをしていたが、石井と出会って改心し、盟友よき支援者となった。児島虎次郎は大原の支援でヨーロッパで勉強したが、その時、大原の依頼で印象派の絵を買い集めこれが大原美術館の元となる。小島は石井十次の長女友子と結婚、あとを継いだ。石井は最初の妻と三女を失い、なんでも施設の子を優先したため、自らも栄養失調で48歳で死去。
西都原古墳群、持田古墳とプリミティブアートを見る。日輪で大分へ、海沿いに3時間かかる。大分で乗り換え、また2時間で博多に着き、ラーメンを食べ、映画でも見たかったが終わるのが遅すぎるので、スタバで仕事。