5月5日 西片町の変貌

朝地震。散歩三日目。西片町。サイディングの新しいうちが多くなっている。私はこのサイディングは好きではない。西片町はお金を持ったらすみたい町なんだろう。だから新住民がはいって来て、建てる家が私の趣味とはちがい、自分の感じる懐かしさがこわれているのを感じてしまう。私が子供の頃はインテリの住む町だったが、大学の先生たちはバブルの頃ここを持ちこたえられなくて、かなり転居した。誠之小学校、翠の窓、古い洋館、旧友の家、かなりアップダウンがある。空橋通りを横切り、本郷館がマンションになっていたのにはびっくり。鳳明館、求道会館は健在、木村伊兵衛の撮った街角を過ぎ、炭団坂上に出た。今日は正岡子規のいた常磐会宿舎のあとを確かめたかった。それ以前には坪内逍遥がいてここで『小説神髄』を書いた。マンション風のビルが建っていたが、崖の石垣は古くてその上にシャガが一面に咲いていた。菊坂下。このへんの方が古いものが残っている。成功者の町はどんどん新しくなるが、このへんは元の通りひっそりしている。また坂を上がり、真直ぐ行くと中山道に出た。
2時、オリンピックに関する取材の約束を忘れる。あわてて飛んでいくと、記者とカメラマンは「日頃珈琲をゆっくり飲む時間がないのでよかった」という。ありがたい、気持ちよい青年たちなり。
夜は母の家で食事。母は豆腐が嫌い。何でもはっきり好き嫌いを言うのがいい。安田邸のボランティアでいろんな人と仲良くなって、「外国の人もたくさん来るからこれから英語を勉強しようかとおもって」という85歳。戦後は進駐軍の病院につとめる歯科医だったので、フランス語、ドイツ語、英語も使って語学手当をもらっていたとか。「フランス人が来たら、スィットダウンでなくアッセヴーというと喜んだもんよ。異国で自分の国の言葉に出会うと嬉しいのよね」。

朝地震。散歩三日目。西片町。サイディングの新しいうちが多くなっている。私はこのサイディングは好きではない。西片町はお金を持ったらすみたい町なんだろう。だから新住民がはいって来て、建てる家が私の趣味とはちがい、自分の感じる懐かしさがこわれているのを感じてしまう。私が子供の頃はインテリの住む町だったが、大学の先生たちはバブルの頃ここを持ちこたえられなくて、かなり転居した。誠之小学校、翠の窓、古い洋館、旧友の家、かなりアップダウンがある。空橋通りを横切り、本郷館がマンションになっていたのにはびっくり。鳳明館、求道会館は健在、木村伊兵衛の撮った街角を過ぎ、炭団坂上に出た。今日は正岡子規のいた常磐会宿舎のあとを確かめたかった。それ以前には坪内逍遥がいてここで『小説神髄』を書いた。マンション風のビルが建っていたが、崖の石垣は古くてその上にシャガが一面に咲いていた。菊坂下。このへんの方が古いものが残っている。成功者の町はどんどん新しくなるが、このへんは元の通りひっそりしている。また坂を上がり、真直ぐ行くと中山道に出た。

2時、オリンピックに関する取材の約束を忘れる。あわてて飛んでいくと、記者とカメラマンは「日頃珈琲をゆっくり飲む時間がないのでよかった」という。ありがたい、気持ちよい青年たちなり。

夜は母の家で食事。母は豆腐が嫌い。何でもはっきり好き嫌いを言うのがいい。安田邸のボランティアでいろんな人と仲良くなって、「外国の人もたくさん来るからこれから英語を勉強しようかとおもって」という85歳。戦後は進駐軍の病院につとめる歯科医だったので、フランス語、ドイツ語、英語も使って語学手当をもらっていたとか。「フランス人が来たら、スィットダウンでなくアッセヴーというと喜んだもんよ。異国で自分の国の言葉に出会うと嬉しいのよね」。