11月9日 永山則夫

土門拳の昭和の写真を見ていると子どもたちはみんなセーターを着ている。フリースとかない時代。「母さんは夜なべをして手袋編んでくれた」のうたを思い出す。そして冬がくる前に、母はセーターをほどいて、大きくなったこともに会わせて編み直し、それは毎年の行事だった。夜は火鉢の上にかかったやかんの口に毛糸を当てて延ばし、それをまいてたまにするのが、子どものお手伝い。こういううちでは非行はおこりっこない。本当にリサイクルの時代だった。

今日は永山則夫に関する足立正生「略称連続射殺魔」を見に行く。永山に関係するところを全国移していくロードムービー。印象的な景色がいろいろある。永山が事件を起こした1968年は激動の年だった。彼は19歳で私は14歳。ひどすぎる生い立ちで、何をしてもうまくいかず、殺されたいと思って基地に忍び込み、武器を盗んだ。19歳の少年に殺された27歳のガードマンも浮かばれない。しかしこの殺人が貧困と無知によるものだとはみんな理解した。同じように仮出所直後に幼児の頭を包丁で突き刺した氏家という人のことが気にかかっているが、どうなったかなあ。彼も虚弱でアル中の両親の元に生まれ、親が死んだ後、路頭に迷い。もちろん悲惨な生い立ちでも、立派にいきている人もたくさんいるわけで、何がどう違うのか、知りたい。どこかで誰かに出会うこと、かな。