10月15日 蔵の町村田の状況

宮城県村田町で聞いた話。
ここは近江商人が最上川を使って紅花を運ぶための集散地として出来た。
大沼家の一族が多く、立派な蔵作りが軒をならべ、伝建の調査もはいった。
私は前にも何度か、訪れて話を聞いたり文化庁の人にもぜひ見てくれとお願いしたりしている。
3・11で蔵が相当壊された。時限付きでただで壊してくれるというので。とくに表より裏に会った蔵が壊されたのは一本裏の通りで見るとよくわかる。
残したくても、蔵の壁が落ちる、瓦が落ちて危ないと近隣にいわれて決断した。
自分のところは自費で300万かかった。
町に寄付してあった大沼本家の店は2200万かけて直した。
今は裏の古賀政男が戦時中滞在した家を修復中。
自分のところも蔵2棟壊したので、災い転じて福となすつもりで、宮城大学の協力をえて、中のものを整理して蔵のミニ博物館を作った。

宮城県村田町で聞いた話。

ここは近江商人が最上川を使って紅花を運ぶための集散地として出来た。

大沼家の一族が多く、立派な蔵作りが軒をならべ、伝建の調査もはいった。

私は前にも何度か、訪れて話を聞いたり文化庁の人にもぜひ見てくれとお願いしたりしている。

3・11で蔵が相当壊された。時限付きでただで壊してくれるというので。とくに表より裏に会った蔵が壊されたのは一本裏の通りで見るとよくわかる。

残したくても、蔵の壁が落ちる、瓦が落ちて危ないと近隣にいわれて決断した。

自分のところは自費で300万かかった。

町に寄付してあった大沼本家の店は2200万かけて直した。

今は裏の古賀政男が戦時中滞在した家を修復中。

自分のところも蔵2棟壊したので、災い転じて福となすつもりで、宮城大学の協力をえて、中のものを整理して蔵のミニ博物館を作った。