10月10日 思い出すこといろいろ

イスタンブールからのトルコ航空に時間遅れで到着。家に帰り、一日メールチェックや新聞読み。山崎豊子さんがなくなった。映画でしか知っていないが、「ぼんち」の「ご苦労でおました」という一言は忘れられない。
藤圭子さんの目の不自由な両親が昔谷中あたりで門付をしていたことは何人からか聞いたが、谷根千には書かなかった。藤圭子さんがなくなってからたくさんの記事で見かけた。千石規子さんもなくなられたが、谷中の寺の住職婦人だったはずである。鳩山安子さんには取材に行ったが、「木曜日は気分が憂鬱。女性週刊誌に由起夫と邦夫が仲が悪いとか女性問題とか、今週は出てないかしらって」と悩んでおられた。このとき古河男爵夫人にもお話を聞いたが、安子さんとはお友達だといっておられた。「よくお電話でおたがいの無事を確認するんですの」と旧華族らしいイントネーションで話された。このかたもなくなられたと息子さんに聞いた。
そういえば「青鞜」に関係ないからと最後は削ってしまったが、若い燕の奥村博史がいったん去った後、平塚らいてうの心に滑り込んできた東雲堂若主人西村陽吉は長嶋茂雄夫人の祖父である。

イスタンブールからのトルコ航空に時間遅れで到着。家に帰り、一日メールチェックや新聞読み。山崎豊子さんがなくなった。映画でしか知っていないが、「ぼんち」の「ご苦労でおました」という一言は忘れられない。

藤圭子さんの目の不自由な両親が昔谷中あたりで門付をしていたことは何人からか聞いたが、谷根千には書かなかった。藤圭子さんがなくなってからたくさんの記事で見かけた。千石規子さんもなくなられたが、谷中の寺の住職婦人だったはずである。鳩山安子さんには取材に行ったが、「木曜日は気分が憂鬱。女性週刊誌に由起夫と邦夫が仲が悪いとか女性問題とか、今週は出てないかしらって」と悩んでおられた。このとき古河男爵夫人にもお話を聞いたが、安子さんとはお友達だといっておられた。「よくお電話でおたがいの無事を確認するんですの」と旧華族らしいイントネーションで話された。このかたもなくなられたと息子さんに聞いた。

そういえば「青鞜」に関係ないからと最後は削ってしまったが、若い燕の奥村博史がいったん去った後、平塚らいてうの心に滑り込んできた東雲堂若主人西村陽吉は長嶋茂雄夫人の祖父である。