7月24-27日

恒例の谷根千合宿。信濃境にて森の中でたき火をしたり、近くの温泉に行ったり。
野村かつ子さんのご遺族を八ヶ岳山中におたづねしたこと、高根町に浅川巧、伯教の資料館を訪ねた事、松本の神宮寺に丸木位里、俊さんのふすま絵を見せていただいた事など、心洗われる時間をもつことができた。「野村かつ子は子供を捨てても自分の仕事をやり通した一種の変人、一番の失敗は晩年に担がれてノーベル平和賞の候補なんかになったこと。でも消費者問題なんて得意で地味な分野で仕事をした女性なのは確かです。ぜんぜん評価されていませんが」と息子さんはいった。野村基之さんはソウルの日本大使館前に建てられた従軍慰安婦の像にフルート演奏を捧げた勇気ある日本人である。翌日に訪ねた浅川巧は植民地下の朝鮮にわたって農林試験場で働きながら、朝鮮のお膳や白磁など生活雑器を見いだし、彼らの生活を尊重して友となり、40に満たずしてなくなったときは朝鮮の人々が望んで彼の柩を担ぎ、涙を流した。

恒例の谷根千合宿。信濃境にて森の中でたき火をしたり、近くの温泉に行ったり。

野村かつ子さんのご遺族を八ヶ岳山中におたづねしたこと、高根町に浅川巧、伯教の資料館を訪ねた事、松本の神宮寺に丸木位里、俊さんのふすま絵を見せていただいた事など、心洗われる時間をもつことができた。「野村かつ子は子供を捨てても自分の仕事をやり通した一種の変人、一番の失敗は晩年に担がれてノーベル平和賞の候補なんかになったこと。でも消費者問題なんて得意で地味な分野で仕事をした女性なのは確かです。ぜんぜん評価されていませんが」と息子さんはいった。野村基之さんはソウルの日本大使館前に建てられた従軍慰安婦の像にフルート演奏を捧げた勇気ある日本人である。翌日に訪ねた浅川巧は植民地下の朝鮮にわたって農林試験場で働きながら、朝鮮のお膳や白磁など生活雑器を見いだし、彼らの生活を尊重して友となり、40に満たずしてなくなったときは朝鮮の人々が望んで彼の柩を担ぎ、涙を流した。