日曜日、それも三社祭の日に浅草で漱石について語る。いい聴衆で話しやすかった。
今は『青鞜の冒険』出頭がいっぱいな訳だが、そういえば漱石の『三四郎』の美穪子は平塚らいてうがモデルだから、そこから話を始めることにした。弟子の森田草平が平塚はると問題を起こしたとき、漱石先生は平塚家に後始末の挨拶にいって「必ず近い将来、令嬢に結婚を申し込ませる」などと言っている。森田草平は妻子がいたのにだ。さらに「この男は事件のせいで中学教師の職を失ったので、小説を書いていきていくしか無い」と事件をモデル小説にすることの了承を求める。こういうやり方に平塚らいてうは生涯軽蔑感をもっていた。「違う、私の望んでいるのはそんなことじゃない」と言いたかったであろう。