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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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電球屋・小川愛明さん〈2〉小型電球(下)
2005年4月17日(日)  阿部清司 あべ・きよし
電球屋・小川愛明さん〈2〉小型電球(下)  「はじめて封止場(ふうじば)を見たときから、面白そうな仕事だと思ったね」
 小川愛明さんは語る。
 小川さんが封止工程のなかで「できるようになるなら給料なんていらないと思うくらい魅力を感じた」仕事が、気管支鏡の先端につく外径1・3ミリの極小電球=写真=の封止だった。
 七十年代までは、外径5ミリ未満のガラス管がなかったという。だから、気管支鏡用電球をつくるには、バーナーで5ミリ管を焼いて伸ばし、外径1・3ミリ管を細工しなければならなかった。その上で、細工した管内(内径は1ミリ以下)に、極小フィラメントを着床させないように挿入して封止する。そしてバルブ(ランプ部分)から排気する(真空にする)ための道管づけへとつづく。
 一連の作業に機械はまったく介在しない。治工具もピンセットとヤスリを使うのみ。
 1・3ミリ菅の封止を、若き小川さんは1日に200個以上こなせたというが、今ではできなくなった、という。
 なぜか。
 ふつう職人といえば齢(よわい)を重ねるごとに、その技能に磨きがかかるものだが、極小電球の世界はチットばかり事情が違ったからだ。
 小川さんの場合、微細なガラス管を細工する「目」と「指先の感覚」が、30歳を境にして維持できなくなったというのだ。難しい上に若くないとできないという、やっかいさ。当人でさえ、よくやれたなァと振り返るほどで、日本では今までに、元細渕の大塚さんと小川さんのふたりだけが、手がけた仕事でもある。 
           写真/田村友孝(たむら・ともたか)
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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読者B2005年4月18日(月) 16時55分
胃カメラの電球作りの話を以前「プロジェクトX」でみました。 その番組も感動しましたが、文章での聞き取りを読むと映像とは別の感動があります。工具や作業場の専門用語が文字でわかるのも嬉しいですし、声が聞こえてきそうです。
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