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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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電球屋・小川愛明さん〈6〉電球屋の手
2005年5月15日(日)  阿部清司 あべ・きよし
 2005年3月14日の午後7時ころ。西日暮里のルノアール。2階中央にある大きな円卓で、年のころは六十代とおぼしき二人の男が、大声で怒鳴り合あっている。
男A「儲かりゃ色つけてって思ったんだけど、まあ、そのォ……」
男B「なにィ、500万貸せェ? まだ1000万だって返してもらってねェだろォが」
A「いや、だからァ、も少し必要なんだよォ」
B「俺を恐喝する気かッ」
A「きょっ、恐喝とはなんだッ。言い過ぎじゃないかッ」

 こんなやりとりが10分間ほど続いたフロアの隅で、私は小川さんの手を触っていた。
 一ト言でいえば、その手は美しかった。これまでに、これほど美しい六十代の、しかも男性の手を見たことはなかった。とても職人の手ではない。たこどころか、キズひとつないのだ。ちょうどいい肉づき。爪がきれいだ。掌も甲も柔らかい。
「昔の電球職人はみんな、こんなもんだよね。重いもの持たないしね」
 手仕事電球の職人にとって、指先の感覚は重要だ。
「やっぱりトシなんだねェ。感覚が鈍くなっちゃってね。最近、仕事やってて"あア、ヘタクソになったなァ"て情けなく思う時が結構あるんだよね。仕事がなんとなく辛くなってきたから、そろそろ(潮時)かなァって思っちゃうんだけど」
 この日、ルノアールに居合わせた、(たぶん)六十代の男が三人。
一人は、儲け、とはまったく無縁の人生を歩んできた電球職人だ。彼の手が美しいのは、静かに淡々と手仕事をまっとうしてきた証でもある。
 電球屋は、怒鳴り合う二人へ目をやり、苦笑してつぶやいた。
「こんなとこで、あんなこと言っちゃア、いけないよね。迷惑でしょ。みんないるんだからさァ」
 
ウゥム。いろんな人生があるねェ。
                       写真/田村友孝(たむら・ともたか)
                   

* 「電球屋・小川愛明さん」は、東京商工会議所発行の月刊情報誌『ツインアーチ』2003年12月号に掲載した拙稿「東京の力」を再構成し、加筆したものだ。転載にあたっては、東京商工会議所広報部の許可を得た。
田村友孝さん撮影の写真を転用する際、デザイナーの三沢剛さんの手を煩わせた。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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