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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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電球屋・小川愛明さん〈5〉大切なもの
2005年5月8日(日)  阿部清司 あべ・きよし
電球屋・小川愛明さん〈5〉大切なもの  趣味は何にもないんだよね。楽しみっていったら、もォ飲むことだね。若いころなんかは、よみせ通りの「喜月」で、安い給料だから、煮込みを頼んで、まあ、よォく飲んだ。とにかく、飲むのが楽しみだったね。今でも、そう。
西村(崟春)さんも酒が好きだったから、よく連れて行ってもらった。東京に来て、モツとか煮込みとか、はじめて食べたときは、なんておいしいんだろうって思ったね。
 あとはパチンコをたまにやるくらい。
 女? そんなことまで言わなきゃなんない? 私は、まるきり興味がなかったんだよね。うちの(奥さんの良子さん)とは、今でいう社内恋愛なんだよ。当時、細渕さんには若い男も多かったんだけど、女の子も結構いたんだよね。結婚したのは、私が25で向こうが20。まあ、(良子さんは)可愛かったねェ。うん、可愛かった。へへへ。どっちかって言えば、オレの方が惚れたんだな。
 やっぱり家族が大事だもんね。会社も大事だけど、家族のために働いてるんだもんね。
 うちはねェ、息子(29歳)とも仲が良くって、よく飲みに行くんだよね。息子から「行こう」って誘ってくるもんね。それで、けっこォ本音で話し合えるしね。周りの人は、珍しいぐらいだって言ってるけどね。
 実家のオヤジ(昇さん)は黙ってる人で、怖かったなァ。囲炉裏ンとこで、グズグズしてると、頭をガツンとやられたもんな。おふくろ(みつさん)は、やさしかった。私が所帯持ってからでも、小遣いくれたんだよ。ちり紙に包んで、そっとね。
                        写真/田村友孝(たむら・ともたか)
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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