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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)
2005年4月10日(日)  阿部清司 あべ・きよし
電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)  静けさを失うことは、人間の従来の本質をもっとも大きく変えた。
 ――マックス・ピカード、Tuula‐Moilanen訳

 胃カメラ(内視鏡)の国産品は「東京大学」と「オリンパス光学工業株式会社」が共同で開発にあたったのがはじまりで、完成は1950(昭和25)年のことだ〈開発秘話は吉村昭さんの『光る壁画』に詳しい〉。東大とオリンパスは3年後の53年に、はじめてカラー撮影用胃カメラを世に出して世界中を驚かせた。
 胃カメラのカラー化を実現させた重要な部品の一つ、小型電球をつくったのが、西日暮里1丁目にある『細渕電球株式会社(従業員35人)』だ。細渕電球は1938(昭和13)年の創業当初から、特殊電球の製造元として夙に名高く、現在もその医療用、光学機器用光源電球は国内外に販路を広げる。

 電球を成形することを「封止(ふうじ)」といい、その仕事場を「封止場」と呼ぶ。
 細渕の封止場は、ある種フシギなまでの"静けさ"を保っていた。それは、電球を手仕事でつくるために、機械音とは無縁であるからだ。
 暗闇に10台の「小型バーナー」の炎がほのかに灯り、数人の職人がその炎の前に腰掛けて作業する。聞こえるのはバーナーのシューッというかすかな音と、そこに空気を送る「エアポンプ」のモーターのカタ、カタ、カタ、カタといった連続音だけ。
 封止場を暗くするのは、職人がわずかな炎を見るためで、バーナーの火力が強すぎると、電球の成形に支障をきたすほど繊細な仕事だ、ということが推察できる。
この“手仕事電球”の分野で、国内最高峰の腕を持つ「電球屋」が小川愛明(おがわ・よしあき)さん64歳だ。                 
          写真/田村友孝(たむら・ともたか)
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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