
「はじめて封止場(ふうじば)を見たときから、面白そうな仕事だと思ったね」
小川愛明さんは語る。
小川さんが封止工程のなかで「できるようになるなら給料なんていらないと思うくらい魅力を感じた」仕事が、気管支鏡の先端につく外径1・3ミリの極小電球=写真=の封止だった。
七十年代までは、外径5ミリ未満のガラス管がなかったという。だから、気管支鏡用電球をつくるには、バーナーで5ミリ管を焼いて伸ばし、外径1・3ミリ管を細工しなければならなかった。その上で、細工した管内(内径は1ミリ以下)に、極小フィラメントを着床させないように挿入して封止する。そしてバルブ(ランプ部分)から排気する(真空にする)ための道管づけへとつづく。
一連の作業に機械はまったく介在しない。治工具もピンセットとヤスリを使うのみ。
1・3ミリ菅の封止を、若き小川さんは1日に200個以上こなせたというが、今ではできなくなった、という。
なぜか。
ふつう職人といえば齢(よわい)を重ねるごとに、その技能に磨きがかかるものだが、極小電球の世界はチットばかり事情が違ったからだ。
小川さんの場合、微細なガラス管を細工する「目」と「指先の感覚」が、30歳を境にして維持できなくなったというのだ。難しい上に若くないとできないという、やっかいさ。当人でさえ、よくやれたなァと振り返るほどで、日本では今までに、元細渕の大塚さんと小川さんのふたりだけが、手がけた仕事でもある。
写真/田村友孝(たむら・ともたか)