
静けさを失うことは、人間の従来の本質をもっとも大きく変えた。
――マックス・ピカード、Tuula‐Moilanen訳
胃カメラ(内視鏡)の国産品は「東京大学」と「オリンパス光学工業株式会社」が共同で開発にあたったのがはじまりで、完成は1950(昭和25)年のことだ〈開発秘話は吉村昭さんの『光る壁画』に詳しい〉。東大とオリンパスは3年後の53年に、はじめてカラー撮影用胃カメラを世に出して世界中を驚かせた。
胃カメラのカラー化を実現させた重要な部品の一つ、小型電球をつくったのが、西日暮里1丁目にある『細渕電球株式会社(従業員35人)』だ。細渕電球は1938(昭和13)年の創業当初から、特殊電球の製造元として夙に名高く、現在もその医療用、光学機器用光源電球は国内外に販路を広げる。
電球を成形することを「封止(ふうじ)」といい、その仕事場を「封止場」と呼ぶ。
細渕の封止場は、ある種フシギなまでの"静けさ"を保っていた。それは、電球を手仕事でつくるために、機械音とは無縁であるからだ。
暗闇に10台の「小型バーナー」の炎がほのかに灯り、数人の職人がその炎の前に腰掛けて作業する。聞こえるのはバーナーのシューッというかすかな音と、そこに空気を送る「エアポンプ」のモーターのカタ、カタ、カタ、カタといった連続音だけ。
封止場を暗くするのは、職人がわずかな炎を見るためで、バーナーの火力が強すぎると、電球の成形に支障をきたすほど繊細な仕事だ、ということが推察できる。
この“手仕事電球”の分野で、国内最高峰の腕を持つ「電球屋」が小川愛明(おがわ・よしあき)さん64歳だ。
写真/田村友孝(たむら・ともたか)