親方(島田醇一さん)は商人に近いようだった。つくるだけじゃなく、店先で品物も売る。だから俺なんか、朝6時に起きて掃除して雑巾がけ。作業中にお客さんが来る。売り子もやった。たいてい親方は留守だけど、「主人は今、いません」なんて言ったりしてな。たまに居りゃ、お客さんの車磨いてこい、なんて言われるからね。まったく人間として扱かわれてなかったよ。
しばらくは月1500円。安いよ、小遣いにもならない。親方の考えは、仕事を教えてやってんだから金もらいてぇぐれぇだ、てな風だからね。で、めしはロクでもないから、みんな辞めてっちゃう。続いたのは俺だけ。最後の弟子。
何度、辞めようと思ったか。辞めたかったんだけど、おばさんに「私の顔をつぶさないでくれ」ってさ。今じゃ考えられないだろうけど、義理人情に縛られちゃったわけ。だから、15歳から31歳まで16年、青春の一番好い時期に、そこで働いた。
最後の方は、親方のこさえた借金を、ただひたすら返すために働いてたようなもん。30歳時の月給が15万だよ。周りでみんな、30万くらいもらってんのに。亡くなる前には、体が動かなくなってさ。フロ(湯屋)にだって、一緒に連れて行って。それで、店をやるとか養子にするとか、親方が言うわけよ。でも、結局、一銭ももらえなかったな。
まあ、親方も俺に何かしてやりたかったんだろうけど、その頃はもう何もできなかったから。親方だって、辛かったんじゃない。
でもね、その親方がブラシで有名だったわけ。問屋とか卸に(若い頃の)親方の弟子が結構いたんだ。で、独立してから、商売するのに困らなかった。島田で勤めあげた若い衆なら、人間として間違いないって信用される。それだけは、ありがたかったなぁと思うね。