労働者の人間性はいたる所で好ましくあらわれている。彼らはみずから過酷な運命を経験しており、だからこそ、不遇な人にたいして同情することができる。ブルジョアにとって労働者は人間以下であるが、労働者にとってはどのような人間でも人間である。だから労働者は有産者よりもつきあいやすく、愛想がよい。
――エンゲルス、一條和生・杉山忠平訳
親方のこと? 俺はブラシ屋の本家で修行してるのよ。浅草警察署の近くにあった『島田ブラシ』。そこが親方。名前は島田醇一(じゅんいち)っつう人。
きっかけは、おばさんの紹介よ。駒込で料亭をやっていたおばさんがいたんだけど、そこに客としてうちの親方が通ってたわけ。そのおばさんが、うちに若いのが一人いるんだけどって親方に頼み込んだわけだ。ところが、それが、えれえ親方。
昔の親方ってのは、外面ァ好いけど、複雑なの。京橋に家庭をもちながら、もう一軒、浅草に二号さん。その人、元芸者。で、その浅草が奉公先。えっ? そうだよ、お妾さんの処に住込みだよ。
おかみさん(お妾さんのこと)は芸者あがりだから、料理をつくれないんだか、つくらないんだか。めしなんか、ヒデェもの。ご飯と味噌汁だけ。あと、たまにおしんこ。自分たちは、11時半ごろ外へ行って喰ってきちゃう。それで12時ごろ戻ってくんだから。こっちはめし喰って、休む間もない。たまに(お妾さんが)めしとぎゃ、針金が入ってるしな。それでいて親方は、おかみさんにお燗つけてんだからさ。参っちゃうよな。
親方は見栄っ張りでね。三社祭ン時に寄付金の額で、浅草の松屋と競ったりしてんだよ。こっちは、たかがブラシ屋だよ。まったくさ。