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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈10〉清ちゃんと佐々木さん
2005年1月2日(日)  阿部清司 あべ・きよし
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈10〉清ちゃんと佐々木さん  タカノには、晴さん以外に二人の職人がいる。

 一人は軽部清男さん67歳。タカノで働いて、40年になる。社長のことを、晴さんと呼び、みんなからは、清ちゃんと呼ばれていた。ただし、清ちゃんが「晴さん」と呼ぶことは、めったにない。「おう」とか「ああ」とか、よく分からない日本語を頭につけて、会話の口火を切っていた。これが40年という歳月なのかも知れない。

 もう一人は佐々木孝(たかし)さん66歳。6年前からタカノで働いている。以前は、舞台制作の会社に所属していた。そこで、手がけていたのは、よく展示会などで見かける、新型の乗用車の下にあるターンテーブルなどだ、という。

 佐々木さん「前の会社で定年を迎えて、それでも何処かで働きたかったんだよ。この(タカノ)近くに友達の家があってさ、こんな所に工場(こうば)があるなって思っててさ。ある時、社長(晴さんのこと)に”働きたい”って言ってみたんだよ。そしたら、社長が”来てみな”ってことでよ・・・・・」

 清ちゃん「この人(佐々木さんのこと)は何だってできるもん。もう手放せぇねぇよ」

 佐々木「そうするとよ。また道具が欲しくなっちゃってさ。人の鉋はやりづらいんだよ」

 清「鉋も人によって癖があるからな。右に曲がったり、左に曲がったりすんだよ」
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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