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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈8〉親方のこと - その4
2004年12月24日(金)  阿部清司 あべ・きよし
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈8〉親方のこと - その4 「昔の親方は、仕事なんてしなかったねぇ。うちの親父もそれ。今そんなことしてたら、会社が潰れちゃうけどね」

 と、晴さんは笑う。

 常時、二十数人の職人を抱えていた、長谷川(光三さんの主家)からは、数多くの職人が独立したというが、今はタカノを含めて数えるほどになった。

 タカノの先代のおかみさん、きく子さんが振り返る。

「長い人生だから、いい時ばかりじゃないけど、楽しかったことは一度もありません。(光三さんが)そんなだから、私もだんだん強くなってきまして・・・・・・。終いには(光三さんも)仲間に、うちのババァがうるせぇんだよ、なんて溢してました。たまに、おかみさんが立派だったから(タカノが)残ったねって言ってくれる人がいますけど、一人でも、そう思ってくれる人がいれば、やっぱり嬉しいわねぇ」

「仏(光三さんのこと)さんにゃ悪いけど、死んでから、楽しくなりました」

 子息の晴さんが、父親を語る。

「俺が小さい頃は、親父がまだ一人親方でさ、家の中で仕事をしてたよ。俺なんか、鉋くずの中でゴロゴロしてたねぇ。間近で親父の仕事を見ていて、どうだったかって。あんまり、いい感じはしなかったなぁ」

「親父からは、震災の時のことを、よく聞かされたねぇ。入谷あたりの家が、ばたんばたんと倒れてゆくのを見たんだってさ・・・・・・」
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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