「昔の親方は、仕事なんてしなかったねぇ。うちの親父もそれ。今そんなことしてたら、会社が潰れちゃうけどね」
と、晴さんは笑う。
常時、二十数人の職人を抱えていた、長谷川(光三さんの主家)からは、数多くの職人が独立したというが、今はタカノを含めて数えるほどになった。
タカノの先代のおかみさん、きく子さんが振り返る。
「長い人生だから、いい時ばかりじゃないけど、楽しかったことは一度もありません。(光三さんが)そんなだから、私もだんだん強くなってきまして・・・・・・。終いには(光三さんも)仲間に、うちのババァがうるせぇんだよ、なんて溢してました。たまに、おかみさんが立派だったから(タカノが)残ったねって言ってくれる人がいますけど、一人でも、そう思ってくれる人がいれば、やっぱり嬉しいわねぇ」
「仏(光三さんのこと)さんにゃ悪いけど、死んでから、楽しくなりました」
子息の晴さんが、父親を語る。
「俺が小さい頃は、親父がまだ一人親方でさ、家の中で仕事をしてたよ。俺なんか、鉋くずの中でゴロゴロしてたねぇ。間近で親父の仕事を見ていて、どうだったかって。あんまり、いい感じはしなかったなぁ」
「親父からは、震災の時のことを、よく聞かされたねぇ。入谷あたりの家が、ばたんばたんと倒れてゆくのを見たんだってさ・・・・・・」