(光三さんは)ある意味不思議になるくらい、家のことは何もしない人でした。
私が静岡へ里帰りした時のことです。朝、オムツを干してから行ったのに、一週間経って戻ってみると、干したままのオムツが灰色になって、万国旗みたいにペラペラとたなびいていたんですよ。あれには、がっかりしちゃたなぁ。
それから、私の実家から、たまには高野をよこせってことで、(光三さんは)気が進まなかったんでしょうけど、当時、年端もゆかない娘を連れて二人で静岡まで行ってもらったことがありました。一応は顔を出したみたいですけど、その日のうちに娘と一緒に温泉宿に泊っちゃったっていうんですからね。もちろん実家では、ご馳走を用意していたのに……。まだ電話を引いていない頃ですから、私はそんなことは知る由もありません。(光三さんは)宿で娘においしいものを食べさせながら、「かあちゃんには絶対に内緒だぞ」と言い聞かせて、念を押しながら帰ってきたんでしょうね。でも娘は幼い頃でしたから、その日のうちにみんなのいる前で、「とうちゃん、あすこの料理、おいしかったね」って、やっちゃった。あはは。「コラッ」って、すごい目つきして娘のことを睨んでいましたっけねぇ。
とにかく長谷川(光三さんの主家)出の職人は、博打好きばかりで……。集まって話していることなんかは、帰りの電車賃だけは残しとかなきゃな、なんていった、くっだらないこと。学校に行かないからねぇ。手に職さえあれば、喰いっぱぐれはなかったですしね。
おおむね昔の職人は、そんなもんだったんじゃないですか。