
とき子さんの話は続く。
(光三さんは)お祭りが好きでね。神田だ、浅草だって、どこへでも顔を出していましたね。仲間が迎えに来るんですよ。仕事中でも私がちょっと目をはなしている隙に、草履を懐に入れて、裏からそっと出て行っちゃうでしょ。
それから、とにかく博打が好きで、問屋さんから一日と十五日に集金すると、家に帰らずにその足で(打つためだけの)旅行に行っちゃうんですから。それで勝ってる間は、ずっと帰ってこないんですよ。家に帰ってくるのは、借金をこさえてきた時。もう、仏(光三さんのこと)さんだからしょうがないけど、非常に腹が立ちましたね。
長谷川(光三さんの親方)の弟子で、小畑さんだけが打たなかったけど、あの人は飲むでしょ。
親方の息子さんに金ちゃんとヤスさんの二人がいました。金ちゃんとは仲がよくて、「光(みつ)、いるかい」ってよく家に来てましたね。金ちゃんは大変な遊び人で、長谷川の長男だったのに、家を継がせてもらえなかったくらいでしたから。
私は東京に出てはじめて『ずらかる』という言葉を知ったんですよ。お金を前借りして、仕事しないで逃げちゃう。長谷川金ちゃんが問屋さんから前借りして、大阪までずらかった事がありまして、たしか、何年間か東京には帰ってこなかったんじゃないかと思いますよ。昔は、ずらかる職人って結構いたんです。問屋の番頭さんたちが、前借りした職人に地方へ逃げられないように、いつも上野駅で目を光らせていたくらいですから……。