!新谷根千ねっとはコチラ!

手は語る−日暮里の町工場を歩く

ゲスト連載の一覧へ   ↑手は語る−日暮里の町工場を歩くの目次へ   最初  <-前  次->  最新
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈4〉土地っ子の晴さん(下)
2004年12月8日(水)  阿部清司 あべ・きよし
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈4〉土地っ子の晴さん(下)  近くにあった下宿アパートの四畳半一間に、咄家の三遊亭鳳楽(ほうらく)が住んでいた。30年以上も前の、鳳楽が本当の前座の頃でよ。よく、うちの前を歩いてたな。鳳楽は俺より三つぐらい若いんだよ。友達だったから、たまに一緒に飲んだけど、そん時から咄家の風格があったねぇ。今でも、一年に1回くらいは会う機会があるかな。

 こないだも、日暮里のラングウッドでやった鳳楽の独演会に、かみさんと二人で行ってきたんだけど、400人ぐらいの満員でさ。大したもんだよな。大した咄家になったもんだよ。本当の古典落語だから、テレビなんかには出ないけど、やっぱりうまいしなぁ。

 三河島事故(1962年5月3日の夜10時ごろに起きた、国電三河島事故のこと。死者160人、重軽傷383人)って、知ってるか。すぐ、そこだよ。あん時も大変でよ。トラックの荷台に人っつうか、たぶん遺体だったと思うんだけど、どんどん運んでくんだよ。俺、あの日、我孫子の辺りへ、釣りに行っててさ。いつもより少し早めに切り上げてきたんだけど、家に着いてから1時間あったかな。事故が起こるまで。結構、危なかったんだよ。

 昔はとにかく活気があったな。いろんな町工場があってさ。そういえば缶カラをつくっていた工場(こうば)もあったねぇ。お昼になると、若い職工がみんなそこら中に集まってくるっつうかな。当時はどこでも夜の9時、10時まで残業してたから、辺りが暗くなっても、人がいっぱいいて、賑やかだったよ。

 靴屋あり靴をつくろふ鍛冶屋ありくろがねを打つ秋の日の街 牧水
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
ゲスト連載の一覧へ   ↑手は語る−日暮里の町工場を歩くの目次へ   最初  <-前  次->  最新
ページトップへ