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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 <2>万木工屋(下)
2004年11月30日(火)  阿部清司 あべ・きよし
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 <2>万木工屋(下)  タカノの工場(こうば)には、三つの仕事場がある。

 入口から入って二つ目の仕事場で、晴さんと、清(せい)ちゃんこと軽部清男(かるべ・せいお)さんの二人が、向かい合って何かをしている。

「お袋(高野きく子さん)の知り合いから頼まれた、いくらにもならない仕事だよ」と晴さん。

 続けて、「仕事っつうか、内職だな」

 清ちゃん「あはは。内職だぁ」

 つくっていたのは、着物の帯入れ、だ。

 午前中、清ちゃんが「昇降盤」で加工した中国産桐材(チャンギー)の横板2枚に、晴さんが刷毛を使って、特殊な木工ボンドを付けていく。この間、清ちゃんは縦板2枚を準備し、貼り合わせる。そして、ボンドが乾くまで横板と縦板の接着部を固定するために、適当な強さの工業用の輪ゴムを、二人でかぶせる。これを30本。時間にして約45分。二人は無言で作業を続けた。

「本当は国産の材を使って、工法もボンドじゃなくて、はめ込み式にした方がいいんだけどさ。先方がこれでいいって言うからなぁ」

 二つ目の仕事場には、武者小路実篤の詩がプリントされた某社のカレンダーが、吊るされていた。そこには、こう書かれていた。

 我甘露の雨に打たれし事なし

 甘露の泉に根をはりし事なし

 されど、我その内より甘露をとりぬ
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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