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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈1〉万木(上)
2004年11月26日(金)  阿部清司 あべ・きよし
万(よろず)木工・晴さんと二人の職人 〈1〉万木(上)  文房具屋で見かける、三文判がたくさん入ったシャチハタのネームケース(陳列用の箱物什器)。三文判の市場占有率を圧倒的に誇るのが、この手のネームケースを開発した「シャチハタ」で、ケースの製造元はプラスチック製品のメーカー「三進」だ。ネームケースの木部を手がけるのが、東日暮里2丁目の万(よろず)木工『有限会社 タカノ』である。

「いちばん辛いことが何かってか。そりゃ、仕事の量が減ったことだよ。だから今は、できるものなら、何でもやっていかないと駄目みたいだね」

 晴(はる)さんこと、タカノの高野晴夫(はるお)社長61歳は言う。

 タカノは戦前から続く、和家具の製造屋だった。当初は鏡台を専門としていたが、時代の流れと共に、火鉢、食器棚、茶箪笥など、大物小物を問わずに箱物、棚物の家具を製造してきた。しかし、徐々に家具では立ち行かなくなっていく。

 数十年前、まだ規模の小さかったシャチハタの製品を(孫請けとして)手がけ始めた。約30年前頃には、シャチハタの仕事だけで、月に600万円稼げたこともあったという。現在、シャチハタのネームケースは8型ほどあって、最も寸法の大きい型が「シャチハタ・ネームケース1560」だ。その名の通り、1560本の三文判が陳列可能で、タカノの手間賃は1台につき、1万5000円。

「今では、1560型が、月に5、6台も出ればいいところだなぁ」
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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