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手は語る−日暮里の町工場を歩く

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へら絞り屋・原岩男さん <6>働くということ
2004年11月22日(月)  阿部清司 あべ・きよし
へら絞り屋・原岩男さん <6>働くということ  ハタをラクさせることが、働くということなんだ。これが私のモットーで、結婚式のスピーチでは、こればかりやるんですよ。

 実際、お得意さんのために、をモットーにして働いていれば、それほど悪いことはないですね。金持ちになって、いい目をみるなんてことはできないけれど、自然に向こうから仕事が来るもんですよ。

 まあ、どんな人でも、はなっからこの仕事が天職だっていう人は少ないんじゃないですか。私だってたまたま、へら絞り屋になってるけど、奉公先が轆轤(ろくろ)屋さんだったら轆轤屋をやっていただろうし、ガラス屋さんだったらガラス屋になっていただろうし……。自然とその道でやっちゃうんじゃないか、と思うんだけど。うまくは言えないけど、そんなもんじゃないですか。

 私ら若い頃は、日暮里には町工場ばかりでしたから、若い衆がたくさんいましてね。中には、給料が安いってんで、のべつ職場を替えていく奴(やつ)がいましたよ。今になってみると、あっちこっちを渡り歩いていた奴は、その後どうなっているのか分からないけど、一つの工場(こうば)に長くいた人は、ほとんどが独立している。そう考えてみると、やはり辛抱。金のいい所を渡り歩いた人は駄目で、辛抱していた人たちは今も仕事を続けています。
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阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
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