仕事は朝8時から。定時は夕方5時半。休憩時間はお昼に1時間と、3時からの30分。残業はほとんど毎日で、大体7時半ごろまで。一日の終わりが近づくと、手を洗うためのお湯を沸かして用意する。兄弟子が帰ってから工場(こうば)の掃除をして、手を洗う。時計を見やると、8時半を回っている。弟弟子が入るまでの数年間、原さんはこの作業を繰り返す日々――。
「最初は1カ月4800円の給料だった。そのうち3000円は、オヤジが強制的に貯金するんです」
三食は親方の家で世話になった。朝は目玉焼き。昼と夜は魚だった。それに、味噌汁とお新香がつく。
「ご飯のおかわりは自由だったんですけど、お釜が空っぽになっちゃうから2杯くらいまでで止めていた」
「夜の10時ごろになると、どうしても腹が減ってくるんですよ。表の通り(今のあやめ通り)にパン屋があって、その店はここいら辺りの町工場の若い奴(やつ)らのために遅くまでパンを売っていた。たしか値段は10円か15円くらいだったと思うんだけど。私なんかも毎日のようにコッペパンを買ってたから、給料がそれで終わっちゃう」
「近くに安い居酒屋とか、駄菓子屋がもんじゃ屋を兼ねたような店があって、そこが若い衆の溜まり場だった。年中、15人くらいは集まっていたんじゃないの。違う商売でも同じ年頃の人とは、自然と打ち解けて、仲良くなりましたね。ただ、3年(3歳)違うと、お前は俺の言うことを聞けってな感じでしたけど」