!新谷根千ねっとはコチラ!

手は語る−日暮里の町工場を歩く

ゲスト連載の一覧へ   ↑手は語る−日暮里の町工場を歩くの目次へ   <-前  次->  最新
へら絞り屋・原岩男さん <2>原さんの手
2004年11月6日(土)  阿部清司 あべ・きよし
へら絞り屋・原岩男さん <2>原さんの手 「まず手袋は、やらないね。感覚が分からないから逆に大ケガしますよ」
 だから、原さんの手は鉄板の油にまみれて、まっ黒だ。それも、ただ能もなく黒いわけでは、断じてない。光沢のある黒である。
 午前十時の休憩で既に午後三時の休憩時と同じだけ黒くなるので、始業してから、たった一時間で一日分の汚れがつくようだ。
「こういう仕事は汚れるのを、どうのこうのと言ってたら、仕事にならないっすよ」
 原さんの手に触れてみた。
 掌は意外にも柔らかい。つるつるしていて、なおかつ、弾力がある。右手人指し指の第一関節少し上に、直径一センチほどのたこがある。たぶん、へら棒を握ってこしらえたものだろう。
 さすがに甲はゴツゴツしていたが、爪はホワイトカラーのそれと変わらない。ただし、左手中指は爪先から第二関節にかけて、裂傷の痕が生々しい。何でも十数年も前のケガだという。あたかも、その爪は生えても生えても同じ業を背負った、無間地獄の住人のようでもあった。
「工場に入りたての頃は、小さな品物ばかりやってたから、ケガするのがあたり前。血が出るのは毎日で、ちょっとくらい切れたって、指に新聞紙を巻きつけてそのまま続けちゃう。包帯なんてしたことなかったな」
「今でもケガはしますよ。初歩的なミスは五十年やっていたって、あるんだから・・・・・・」
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
阿部清司 あべ・きよし 建具見習い、時々ルポライター
1974年生まれ。2000年9月に神奈川から谷中へ住まいを移す。いくつかの業界紙・誌の記者職として生計を立て、04年5月からフリーとなったが同年末にあえなく撃沈。05年1月、神奈川に帰り、家業の建具屋の職人に見習い小僧として弟子入り。「谷根千」67号74号78号に「日暮里駄菓子問屋街」の取材記事を寄稿。菓子業界はじめ、さまざまな工場に出かけて職人の話を聞く。
ゲスト連載の一覧へ   ↑手は語る−日暮里の町工場を歩くの目次へ   <-前  次->  最新
ページトップへ