
「まず手袋は、やらないね。感覚が分からないから逆に大ケガしますよ」
だから、原さんの手は鉄板の油にまみれて、まっ黒だ。それも、ただ能もなく黒いわけでは、断じてない。光沢のある黒である。
午前十時の休憩で既に午後三時の休憩時と同じだけ黒くなるので、始業してから、たった一時間で一日分の汚れがつくようだ。
「こういう仕事は汚れるのを、どうのこうのと言ってたら、仕事にならないっすよ」
原さんの手に触れてみた。
掌は意外にも柔らかい。つるつるしていて、なおかつ、弾力がある。右手人指し指の第一関節少し上に、直径一センチほどのたこがある。たぶん、へら棒を握ってこしらえたものだろう。
さすがに甲はゴツゴツしていたが、爪はホワイトカラーのそれと変わらない。ただし、左手中指は爪先から第二関節にかけて、裂傷の痕が生々しい。何でも十数年も前のケガだという。あたかも、その爪は生えても生えても同じ業を背負った、無間地獄の住人のようでもあった。
「工場に入りたての頃は、小さな品物ばかりやってたから、ケガするのがあたり前。血が出るのは毎日で、ちょっとくらい切れたって、指に新聞紙を巻きつけてそのまま続けちゃう。包帯なんてしたことなかったな」
「今でもケガはしますよ。初歩的なミスは五十年やっていたって、あるんだから・・・・・・」