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あれやこれやの思い出帖

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48 ねえ、どうしてなんでしょ、教えてください。
2006年12月8日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 私の方向音痴は生れてこのかた続いている。仲間うちですでに伝説になっているのは、池袋サンシャインから池袋駅に戻る道がわからなくなり、30分近くウロウロした一件だ。我ながら嫌になり、その辺の店の人に駅に行く道を訊ねたところ、「この爺、俺たちをからかっているのか」と言わんばかりの突っ慳貪(けんどん)な教え方をされた。癪にさわったが、そこは礼儀正しい私だから(42参照)「アリガトサン」と阿呆の坂田ふうにきちんとお礼を言った。
 去年秋、日医大に入院していた弟を見舞った帰り、久しぶりに須藤公園に行ってみるかと思い立った。不忍通りから行けばいいものを、坂の上の道から向かったのがいけなかった。「この辺から右に曲がりゃいいか」と見当つけて坂を下りても見当たらない。こんなに遠かったっけと思いながら、また坂を登ると、いい塩梅におばさんと出会った。
 道を訊くと、「ええ、もうすぐよ。いいわよ、連れてったげる」と親切に一緒について来てくれた。これが池袋と大違いのところだ。浅草で永井荷風先生ご愛顧の洋食屋「アリゾナ」の場所を尋ねた時も同じように親切だった。
 白状すると、谷根千工房に3回行ったが、3回とも道に迷った。そのたびに近所の人に教えてもらって大助かり。こんな経験があるから、人に道を訊かれると、日頃の仏頂面はどこへやら、私は出来るだけ親切に教えるようにしている。
 一度、子規庵に向かう道で、この近くにラヴ・ホテルがあるかと60歳搦みの男性に尋ねられたことがある。教えてやって私は日暮里に用足しに行き、3時間ほど経ってそのホテルの前を通った。するとさっきの男と若い女性がホテルから出てくるではないか。バツ悪そうに会釈する男に対して、私は思わず「お疲れさま」と言ってしまった。相手が、「いえいえ、それほどでも」と答えたのはみごとである。恐らく只者ではあるまい。
 赤坂の仕事先から千代田線で帰る時、うっかり根津駅の湯島寄りに降りて、「ありゃ、ここは根津じゃない」と錯覚するのもたびたびあった。出口の前後を間違えると飛んでもないことになる。だから地下鉄は嫌いだ。第一に地下に潜らざるを得ないような悪いこと、やっちゃいない。
 家に仕事を届けに来る出版社の女性が谷中・根津を見たいと言う。で、お奨めの場所を教えた。翌日、彼女から電話があってこう言う。「商店街って、みんな通路とお店の中と同じ高さになっているんですね。ねえ、どうしてなんでしょ、教えてください」。
 そういわれても困る。「段差がないほうが入りやすいからでしょ」と答えておいたが、疑問が残る。ちなみに、彼女が行ったのは谷中銀座からよみせ通りにかけてである。通路と店内が同じ高さなのは当たり前と、私は思っていたが……。必ずしもそうじゃないのかな。
 ねえ、どうしてなんでしょ、教えてください。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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