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あれやこれやの思い出帖

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51 ♪ちょうど時間となりました、いずれまた。
2006年12月29日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 自分の文体と言うものが、曲がりなりにも決まったかな、と思ったのは去年『正史三國志群雄銘傳』を書き終えた時だった。時に71歳、とっくに賞味期限を過ぎた爺になってからのことだ。冴えた頭脳の持主ならば、こんな手間暇はかからなかったろう。そこで50数年前、畏友横山進君がいみじくも喝破した「お前、頭が良くないな」の一言を思い出した(19参照)。
 耳で聴いて(目じゃ聴けない)わかるような表現をそれまで志していたが、これが間違いのもとだった。文章は読むものであって聴くものではない。当用漢字に拘わらないで、必要ならばそれ以外の漢字・漢語をどんどん使えばいい。漢語の簡潔な表現と力強い響きを活用しない術(て)はない。これによって、文章にリズム感が生まれる。リズム感があれば読者に内容が伝わり易くなる。
 それにもう一つ。持って回った表現だけはすまいと心がけたのも良かったようだ。実はこれにはあるきっかけがあった。
 高校時代、九鬼周造の『「いき」の構造』を読んだ。「媚態とは一元的な自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二次元的態度である」と書かれているが、これはほんの一例。全篇、こんな調子で書かれている。生来不粋な私は困ってしまった。困りながらもようやく「媚態とは惚れた相手を自分に魅き付けようとして示す態度」かと理解した。これ、間違っていないかな。ならば、こう書けば済むことなのに。
 同じ頃、中島敦に傾倒していた。漢学者の子に生まれ、漢詩文の素養に裏打ちされた彼の文章は力強さとリズム感にあふれ、たとい見馴れぬ漢語が用いられていようと、読んでいる裡に自然に意味が伝わるのは不思議である。敗戦後の「みごとな国語教育の成果」によって、今後、彼のような文章が書ける作家は一人も出てこないだろう。
 ところで、文章は怖いもので、書き手の性格がもろに出てしまう。一連の『三國志』関連の本では努めて淡々と書くようにしたが、それでも「大義名分やら正義やら、あるいは愛国心やら、尤もらしい言葉の裏には、いつも『何か』が潜んでいる」と入れたりする。愛国心に富んだセンセイ方の苦りきった顔を想像しながら。
 友人たちとちょいちょいFAXの遣り取りをしていると、彼らは一様に「性格の悪さがよくわかる」「物事の見方がひねくれているぞ」と批判する。これまた至極御尤も。
 だから『あれやこれやの思い出帖』は、これが出ないよう注意したが、やはり自ずと出てしまった。それに内容は、若い頃からやって来た下らないことばかりで、救いようがない。「ミラーマンとかサワリーマンと呼ばれるかのU先生のような破廉恥な行為をしてないだけマシだ」と二人の息子は妙な慰め方をするが、省みて忸怩(じくじ)たるものがある。

 そんな私に一年間も書かせてくださった谷根千工房のYMOKの皆さんの懐の深さに、心から感謝している。私より20歳以上も若いYMOさんには、後四半世紀は『谷中根津千駄木』の刊行を続けて頂きたい。

 ♪ちょうど時間となりました。いずれまた……。〔完〕
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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