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あれやこれやの思い出帖

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47 虚無僧さんと柴又の三味線を弾く女性
2006年12月1日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 24、5年前までは上野桜木でも時折、虚無僧さんを見かけた。小袖に袈裟をかけ、天蓋という深編笠をかぶり、尺八を吹いて喜捨を請うて家々を回る。その姿は時代劇にも登場するからご存じの方も多いだろう。禅宗の一派、普化(ふけ)宗の有髪の僧のことである。
 わが家にも年に2、3回は訪れた。門の前で尺八の音が聞こえると、家内が玄関に招じ入れる。5、6分くらいだろうか、尺八の冴えた響きに魅了される。上がり框(がまち)に正座して聞き終えると、家内は何がしか喜捨した。
 当時、ようやく老衰の兆しが濃くなった私の両親と、中学生と小学生の子供たち、それに居職(46参照)の私を加えた六人世帯を切り回す家内は大忙し、疲労困憊するのも当然のこと。その虚無僧さんは天蓋の中からしげしげと家内の様子を見て「ここをいつも圧しなさい。元気になりますよ」と「合谷」(ごうこく)を圧すように教えてくれた。「合谷」は拇指と人差指の間の凹んだ所にある。ここは神経疲労や頭痛を治す効果があり、虚無僧さんの烱眼は家内の持病を見破ったに違いない。以来、彼女は良くここを揉みほぐすようになった。尺八の音色も聞かなくなって久しい。
 尺八といえば、浅草の「ひさご通り」で水道管(プラスチック製)に穴をあけて作った尺八を売る人がいた。これも四半世紀前のことで、本物と同じ音色に聞こえた。よっぽど買おうかと思ったが、楽器は大の苦手で音符も読めない私だから、やめておいた。
 和楽器では三味線も好きだが、もちろん弾けない。この三味線には心痛む思い出がある。
 5、6年前、私と家内、次男の三人で、久しぶりに柴又の帝釈天にお詣りに行った。3月上旬、まだ肌寒いころである。参道の途中に小川があり、4メートルそこそこの橋の袂に、薄い銘仙しか着ていない50歳くらいの女性が、蓆の上で三味線を弾いていた。決して上手じゃない。前に小さな器が置かれていたが、ごく僅かしか入っていない。気の毒に思った家内が200円を入れてあげた。
 そのまま私と家内が立ち去ろうとすると、次男が私の腕を掴んで、「失礼じゃないか、弾き終るまで聴いていなきゃ」と囁いた。親二人は「しまった!」と気付いた。そして一曲聴き終えて拍手して立ち去ろうとする私たちに、彼女は深々と頭を下げた。
「お金を入れたのに三味線聴かないで行くというのは、相手を乞食扱いしたことになる」と息子にたしなめられた私たちは、返す言葉もない。先方の風体に気を奪られ、ふとした心の緩みでこんなことをやってしまったのだ。
 時折、家内とこの話をしては、「どうしてあんなことしちゃったんだろう」と後悔している。
余談を一つ。昔、門付が訪れた時、断わる場合には「御無用」と言ったそうだが、私は実際に聞いたことがない。いつ頃まで使われていたのか、どなたかご存じないか。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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前田ノ二三2007年8月21日(火) 10時26分
私は尺八を吹きますが、先月、この歳(59歳)になって気胸で入院。しばらくは吹くのを控えて三味線の練習をしようかと思い、ネットで検索していてこのページに遭遇しました。虚無僧の話や三味線弾きの話、久しぶりにいい話にめぐりあいました。さわや...
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