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あれやこれやの思い出帖

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46 居職の爺さんの好きな散歩コース
2006年11月24日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 『谷根千』85号に書いたが、私と写真植字との付き合いは、今年の3月で満50年を経過した。そしてこれは今なお続いている。その合い間に好きな『三国志』の本を書く。去年6月に726ページの『正史三國志群雄銘銘傳』を上梓、今年の4月に青春出版社から『三国志検定』、5月に平凡社から『三国志人物外伝』を出版した。宣伝になっちゃって済みません。
 完全な居職(いじょく)で、一ヶ月の労働時間は350時間は当たり前。しかも「字は書くものであってキーボードを叩くものじゃない」と信じているから、全て手書きである。
 居職と老人は足から弱ると聞いているから、たまに暇が出来ると散歩がてら谷中から根津に抜ける。一番好きなのは言問い通りから善光寺坂を下るコースで、坂上からの眺めは不思議に50年前の風景の面影が残っている。遥か遠くに目障りなマンションが聳え立ち、通りの両側にもそこそこ高いビルが立ち並んでいるのに、これはどうしてなのか。1950年代の写真をお持ちな方がおられるならば、是非見較べていただきたい。成程と思われるだろう。
 子供のころ、根津の知り合いの家によく遊びに行った。行きは歩いたが帰りはバス。ガソリン不足で「石油の一滴は血の一滴」と言われた時代だから、当然木炭バスである。馬力がないから宮永町の停留所を出ると速度を上げるが、坂の途中になると、もう気息奄奄(えんえん)、滑り落ちるのではないかと、いつもひやひやしていた。
 1930年代初めまで、九段坂を上る馬車の後押しを職業とする人がいたそうである。高校時代の友人は、九段下で乗ったバスが途中でエンコし、『皆様、お降り下さい』と言われ、全員でバスの尻押しをやった経験があると言っていた。友人は「昭和から大正に逆行しちまった」と笑っていたが、今また逆行が始まり、どんどんキナ臭くなって来た。笑っちゃいられないぞ!! 戦争経験がある爺さんとしては。
 言問通り同様、ビルは増殖したが、上野広小路から上野方面を見る風景も昔の風情を残している。そうそう、20番の都電が不忍池方面に曲がる仲町通りの側に、三角屋根の塔があり、中の職員がポイントの切り替えをやっていたっけ。これも今はもちろんないし、覚えている人も少なくなった。
 散歩コースはもう一つある。スカイ・ザ・バスハウスの横を左に折れる道である。何が良いって、ここは空が広いのだ。目を遮る高い建物がない。突き当りを右に曲がり、みかどパンを抜け、三浦坂を下る。この時、ねんねこ家が開いてれば、猫好きの家内と猫グッズを手にする。向かいの塀に界隈の略図が貼られているが、一筆描きで引かれた線の味わいは只者が描いたものではあるまい。
 そして藍染大通りに行く。森まゆみさんの『不思議の町 根津』に載る図版と見較べると、その変わりように驚かされてしまう。かつてはこの大通りで日用品全てを賄えたそうだが、住民の高齢化と大店舗の進出は、これからも町の匂いをどんどん失くして行くだろう。
 ここで突然のエール。鳥勝さん、芋甚さん、往来堂さん、古書ほうろうさん、頑張って!!
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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