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あれやこれやの思い出帖

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39  「揚子江」の流れを汲む「華」は旨い!!
2006年10月6日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
「中途半端に、以下、次週」としながら、仕事に追われて原稿が書けない息子。どうも済みません。夏バテ恢復の爺さんが再び登場して、「食欲の秋」とは関係なく、旨いお店を御紹介しましょう。


 戦時中から敗戦後の数年間、碌な食べ物のない時代、南瓜・薩摩芋・大豆の絞り滓・高梁(こうりゃん)の粉・玉蜀黍(とうもろこし)の干した粒と粉を一生分も食べさせられた。だから今でも薩摩芋・南瓜・玉蜀黍は苦手だ。私と同世代、いわゆる「昭和一桁」世代の大半は同じに違いない。
 そうした経験がありながら、実は私は食べ物の好き嫌いが激しい。温め返した味噌汁は駄目だし、秋刀魚は七輪で焼いたのでなければ食べない。鰻弁当の鰻は落語『鰻の幇間』の一八のセリフじゃないが「見ねぇ、この鰻。まるでゴム紐噛んでる見てえじゃねえか」なので御辞退申し上げている。
 出来合いのドレッシングやそば汁は、出来合いならではの独特の癖があるので、家内が作ったものでなければ口にしない。鮪のトロはその昔「下魚(げさかな)」と言われていた記憶があるので赤身しか食べない。生雲丹(なまうに)は嫌いで押し通してきた。「違いがわかる」ため、粉末のコーヒーは苦手だ。     
 寿司の雲丹はいつも口にしないので、家族は私を生雲丹嫌いだと、ずーっと思っていた。ところが三年前、伊豆を旅行した際、地元の旨い魚料理屋でこれをパクついて皆を驚かせた。実は取れたての新鮮なのは大好きなのだ。これを見た子供たちは「今まで瞞されてきた。親じゃなければ『ウニ(うぬ)、この野郎』と言いたいね」と憤慨していた。
 もう20年も前になるが、一橋系の出版社に勤めていた弟に、「日本一旨い中華料理を御馳走しよう」と連れて行かれたのが神田神保町のすずらん通りの中華料理店「揚子江」、確かにどの料理もいい味だった。どんな旨さだったか、一時もて囃された料理評論家のような尤もらしい表現は勘に障るので、ここでは書かない。
 その後、何度も通(かよ)ったが、困ったのは「テレビや映画に出てらっしゃいますよね」とおばさん店員に言われることだった。その都度、否定したが、しまいに面倒くさくなって「ええ何しろこんな面ですからね、よく目を剥いて道端に転がっていますよ、死体役でね」と答えておいた。これは効果があった。丹古母鬼馬二(たんこもきまじ)クラスの悪役と思ってくれたようだ。
 根津のバス停(上野公園行)側の「華」という中華料理店にたまたま家内と立ち寄った。この味に覚えがある。訊ねてみると、御主人はあのすずらん通りの「揚子江」で16年間修行されていたそうだ。そして去年の10月、独立してここで店を持ったとのこと。店内は明るく清潔で、その上嬉しいことに奥さんや娘さん、店員さんも皆チャーミングで感じがいい。私を「悪役商会」のメンバーに間違えることもない。以来、私は中華料理はここで食べることに決めて、ちょいちょい行っている。そうだ、所番地と電話番号を書いておこう。
「華」 文京区根津2-12-4   Tel 03-3824-2410
           
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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