36 古本番長口八丁手八丁
足許の在庫本と覚しき文庫の山の頂上に、『暑い日暑い夜』という一冊。「ほうほう、『暑い日暑い夜』か。いやぁ、古いミステリもなかなかあるもんだね」と、山の下を掘り出す私、その脳内に次の瞬間「ちょっと待てよメーン」と熱くソウルフルな声が響き渡りました。
そうです。そして、なんということでしょう。その本こそ、私がこの十数年探していたものだったのです!! 人間の頭脳というものは不思議なもんで、長い間探していたものが、いざ、眼前に現れると、フンフンなる程ね♪っといった調子で、一瞬流してしまうんですな。私は、今回のような「一瞬流し(スルー)」を、過去数回経験しております。
『暑い日〜』の著者はチェスター・ハイムズ。近年欧米で再評価されている黒人作家にして元犯罪者(って、またかよ!!前回参照)です。どうして私の琴線に触れる作家は彼といい、エドワード・バンカー(代表作に映画化もされた『ストレート・タイム』)といい、犯罪歴保持者が多いのでしょうか?
幼い頃に、多分浅草で見た『ロールスロイスに銀の銃』('71)という映画が滅法面白く、高校生の時に古本屋で買った同題の原作を読んで以来、チェスター・ハイムズの小説にベタ惚れしました。ハヤカワからも5冊出ていまして、そちらの方は簡単に入手できたんですが、角川から出ていた残り2冊がさあ難しい。映画がらみのせいもあって、『ロールス〜』は結構目にするものの、『暑い日〜』と、つづく『夜の熱気の中で』の2冊は、同じシリーズなのにまったく出てきません。幾多のミステリに強い古本屋に通って、探索リストに名を書いたことでしょうか……。
しかし、その本が、目の前、というか手の中に!! 私は上ずった声で店員さんに聞きました。「コ、コレ、幾らレスか?」、さぞかし気味の悪い客だったことでしょう。目許涼し気な男前の店長(?)さんは決然たる口調で言いました。「100円です」。
焦点の定まらない目と、フラつく足どりで、私は再度、表の100円棚に向かいました。「ある!!『夜の熱気〜』もきっとある!!』、根拠に乏しい、しかし、確乎たる自信を持って棚と向き合う私に、背表紙ならぬ小口側を見せて微笑む一冊の文庫本が!! 見落としていました。映画『リオ・ブラボー』('59)のディーン・マーティン(アル中)のようにふるえる手で取ったその本こそ、まさしく『夜の熱気の中で』!!
「待ってたぜ。メーン」
脳裡に響いたその声は、7月の酷暑がもたらしたものか、正しくチェススター・ハイムズからのメッセージだったのか、今となっては定かではありません。気づいた時には、不忍池のほとり、野外音楽堂そばのベンチで、厳しい太陽光をものともせずに『暑い〜』を読みふける私の姿がありました。リストバンドの日焼けの痕は、2カ月経っても白くくっきりと残っておりました。そして、その後も、オヨヨ書林さんでは、何度となく珍なる本と出会っております――。
『暑い日暑い夜』を、暑い日暑い昼に、昼の熱気の中で読んだこの日と、オヨヨ書林さんとの出会いを、私は生涯忘れることはないでしょう。
*第36回は坂口亜紀(つぐとし)氏の執筆です。
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