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あれやこれやの思い出帖

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31  カボチャの花盛りにサクラ散る
2006年8月4日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
  ♪親の意見と なすびの花は
    千に一つの 無駄がない

 と都々逸が言うように、茄子の花は必ず実を結ぶ。これに較べてカボチャは無駄花が多く、私はこれを「千三つ」と呼んでいた。「千三つ」は「千言のうちに真実は三つしかない」ことで、嘘つきやホラ吹きのこと。似た言葉に「万八(まんぱち)」がある。今や死語同然でも、戦前ではたいていの子供が知っていた。
 カボチャの花に、名は知らないが体長4cm近い黒っぽい蜂が飛んできて蜜を吸う。それを花ごとペチャッとつぶして頭部と胴を剥がすと、小豆粒くらいの蜜の袋が出て来る。甘いものに飢えていた時代、これは貴重で、疎開当時の思い出の一つだ。
 さて、このカボチャ。家で作っていたのは栗カボチャという直径30cmくらいになろうという代物。実も大きければ花も大きく、花は直径15cmはある。八月下旬に食べごろになる。
 一九四五年八月八日、ソ連の参戦が報じられた。子供心にもうイケナイと感じた。何に基づいたか忘れたが、日本人一人が米英支蘇蘭仏二十人を相手にしなければならないと計算、がっくりした。原爆の殺傷力の報道は伏せられていたから、私にとってソ連の参戦のほうがショックだった。
 そして八月十四日、ラジオは明日重大放送があると伝える。ひょっとして「一億玉砕せよと言われるんやろか」と私は不安になり、父は父で「さっぱりわかれへんわい」と言っていた。明けて十五日、集落の人たちが私の家の縁側に十数人やって来た。
 で、結果は降伏するということ。「雑音があってよく聞き取れなかった」「何を意味しているのか判断出来なかった」などと「玉音放送」について語られるが、私たちの集落ではよく聞き取れた。後から知ったが、一つ山越した南河内に強力な送信所があったそうで、そのせいかも知れない。
「坂口さん、どない(どのように)なりました?」と訊く人たちに、父は「負けたんですわ」と答えた。集落の人たちは「はぁ、さよか(そうですか)。ほな、さいなら」と思い思いに帰っていった。口惜し泣きする人は一人もいない。紀州人の良さは屈託がないことにある。
 私が第一に感じたのは「ヤレヤレ」だった。次に感じたのは戦死者とその遺族たちの無念はいかばかりかということだった。正直言えば、今後「国体」がどうなるかなんて頭の隅にもなかった。
 父と私は連れだってカボチャの花めがけて小便すると、花が一輪ポロリと落ちた。「サクラも散ってしもた。アメリカが来る前にカボチャ食おら」と父。大きなのを選んで鉈で叩き割って、その夜の主食にした。十五日はよく晴れ、暑い暑い一日だった。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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