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あれやこれやの思い出帖

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30  やたらに「道」を付けないで
2006年7月28日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 日本人は「道」が好きなようで、そこらぢゅう「道」だらけになってしまった。とは言っても日本橋の上を走る首都高速道路や、隅田川の風情を台無しにしたあの道路ではない。まして自転車が音もなく近づいてきて、通行人を驚かせる寛永寺橋の歩道では勿論ない。
 私が言いたいのは、「ある専門分野を単なる技芸としてではなく、人間としての修行を目的としていう場合」(小学館『国語大事典』)の「道」のことだ。
「茶の湯」は茶道になってなお固苦しくなった。茶が飲みたければ自分の好きな濃さにして、好き勝手に飲めばいいと思っているから、千利休が生きていても友達になりたくない。私は「違いがわかる」爺だからインスタントものではなく、好みの濃さにしたドリップ・コーヒーを飲むが、いろいろ能書きを垂れて「珈琲道」を興そうという気は全くない。
「生け花」は華道になって物々しくなった。「武術」全般は武道となり、細かく分けて「柔術」は柔道、「剣術」は剣道になってしまった。平手浩酒は「剣術遣い」だからいいのであって、彼を「剣道家」と言ったら、元を糺(ただ)せば侍育ち、殿の月見酒にも招かれた身の落魄ぶりにそぐわなくなる。
 大関や横綱に推挙されたお相撲さんは、相撲協会の使者に「相撲道に精進致します」と言うが、道なしの相撲に精進してくれればそれで十分、と相撲大好きの爺は主張する。
「弓術」は弓道になったが、幸いなことに馬術は馬術のまま。浅草の地名と間違われるのを懸念したのかどうかは知らない。もし「馬道」になると、「競馬道」「競輪道」「競艇道」もきっと出て来る。そうなったら畏れ多くて金を賭ける気になるまい。
 畏れ多いで思い出すのは戦時中の流行(はやり)言葉の「臣道実践」。一九四〇年、第二次近衛内閣の時、大政翼賛会が発足し、その総裁となった近衛文麿が提唱した。永井荷風は『断腸亭日乗』の中で翼賛会を「欲簒怪という化物」と記し、「その吠ゆる声コーアコーアと聞ゆることもありセイセンと響くこともあり一定せず、その中に亦何とか変るべしという」と嗤(わら)っている。「コーア」は「興亜」、「セイセン」は「聖戦」のこと。これも耳にタコが出来るほど聞かされた。
 八月十五日の敗戦記念日が近づいてきたせいか、思わぬ方向に脱線してしまった。
 私が言いたいのは、お茶であれ花であれスポーツであれ、それを単純に楽しめばいいのであって、人間形成を目的とする修行と固苦しく考えてはいけないということ。そういうふうに考えると趣味が苦行になり、苦行は柔軟な思考を奪い去る。御覧、どこかの国のマス・ゲームを。彼らは苦行のせいで思考力を失い、指導者(?)に盲目的に服従して、これを疑わない。
 さて次回は敗戦記念日の記憶のココロだぁ。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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