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あれやこれやの思い出帖

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28 ハナのサキガケのオイラン
2006年7月14日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 1543(天文元)年、種子島にポルトガル人が訪れ、この時、初めて鉄炮がもたらされた。と同時に、梅毒も彼らによってもたらされ、あっという間に日本全国に広まった。これこそ本当に「く」気の毒だ。
 戦国時代末期の武将も罹患した者が多く、中でも有名なのが結城宰相秀康、彼は徳川家康の長子信康の異母弟、二代将軍秀忠の異母兄であり、優れた才能があったが、豊臣秀吉の養子になったため、不遇な晩年を送った。この秀康は梅毒のために鼻が落ちてしまった。そこで木製の義鼻を作って嵌めていた。
 しかし、自前の鼻でない悲しさ、喋りにくくて問いかけられても碌な応対が出来なかったそうだ。そこで冷淡な挨拶は「木で鼻を括ったような」と言われるようになった、というのは講談の話で、本当かどうか、私は知らない。
 私が子供のころ、電信柱や雑誌『キング』の広告に「花柳病」という文字を見かけた。性病専門医の広告だったが、「蓄膿症」や「神経衰弱」に比べると、字面から受ける印象がきれいに思えた。中根岸を歩いていた時、母の手を引っ張って「カリュウ病っていうの、ハナヤギ病っていうの。どんな病気のこと」と訊くと、母は一瞬の間を置いて「それはね、悪い大人が罹る病気なの。あんたは心配ないわ」と答えた。
 どうやら私は自分で思うほど悪い大人じゃないようで、これに罹らないで済んだ。友人たちは「今じゃ罹りたくったって罹れない」と嘆いているが、私はその意味を知らない。
 落語好きな二人の子供たちに「ところで何故遊女をオイランって言うんだろう」と訊ねられた。すかさず私は、「狐や狸は尾を使って人を化かすが、遊女はしっぽがなくっても化かす、だから尾要らんっていう」と答えておいた。ちょうど『三枚起請』を聴いていた時のことだ。別の噺の枕からの知識である。
「じゃ、オイランを花魁って書くのは?」と彼らの詮議はうるさい。で、また噺の枕から頂戴して答えておいた。
――梅毒ってものは、毒が回ると鼻が真っ先に欠け落ちる。だから「鼻の先欠け」をもじって花の魁(さきがけ)と、洒落て表現したんだ。江戸時代の庶民のユーモアのセンスは、むしろイギリス人よりまさる――。
 人から聞いた話だが、淋病に罹ると便器に小便がかかった瞬間、激痛が銃口に走るそうだ。「悪いことやった天罰だ」と言うと、その天罰を免れるために、悪い奴の中でも特に悪い奴は、昔は銭湯でひそかに発射したという。こういう奴らは許せない。私が正義感に燃えているからだ。ただし、世に正義ほど当てにならないものはない。だから、自分から正義を云々する私を信用してはいけない。
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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