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あれやこれやの思い出帖

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27 「情けぬ」思い致しました。
2006年7月7日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 本当かどうか知らないが、浪花節に「ぶらりぶらりと急がるる」という迷文句があり、流行歌に「パイプ咥えて口笛吹けば」という器用な男を歌った詩があるという。一種の都市伝説だろうが、話として面白い。ただ、こういう話が残されているのは、浪花節や流行歌は低俗だと見られていたせいであろう。
 低俗だろうと何だろうと、そんなことは関係ない。あたしゃカラオケが大好きで、大学時代の友人夫妻数組と年一回必ず会って戦前・戦後(といっても1965年くらいまで)の流行歌を歌いまくる。そして誰もサザンオールスターズの歌なんて歌わない。いや、正しく言うなら歌えない。
 あのグループの音楽性は高いそうだが、歌詞は日本語として意味をなしていない。彼らがデビューした数年後、日本ビクターが新聞にサザンの全面広告を出し、歌詞を載せてあったが、読んで絶句した。今ほど私の頭が呆けていない時代だった意味がまったく通じない」。

 ところで、いつも気になるのが古賀正男作詞・作曲の『影を慕いて』だ。戦前は藤山一郎が歌い、戦後は森進一が歌って大ヒットしたあの歌の一番二節目、

   ♪月にやるせぬ わが思い

の個所。
「やるせない」を「やるせぬ」にしてもいいのならば、「心ない仕打ち」は「心ぬ仕打ち」、「果てしない」は「果てしぬ」でもいいことになる。これ、日本語じゃない。カラオケの字幕を見るたびに、「戦前の日本語も今と変わらないじゃないか」と情けぬ思い、いや情けない思いがする。
  『谷中根津千駄木』(第82号)にも書いたが、春日八郎の大ヒット『お富さん』の

  ♪粋な黒塀 見越しの松に

 もショックだった。黒板塀といっても、決して黒塀と戦前は言わなかった。小学生たちもこれを歌い、黒塀とは「九郎兵衛」という人と思いこんでいたという笑い話がある。
 三橋美智也が歌った『星屑の町』(1962)の出だしはこうである。

  ♪両手をまわして帰えろ
   揺れながら

 私が勤めていたレコード会社では、毎月の新譜発売に先立って社内各部署の人が会議に出席、新譜として出すべきかどうかを検討することになっていた。この歌はまだ三橋の声が衰えを見せないころの作品で、歌としては魅力があった。
 しかし、出だしの文句が気になる。担当ディレクターに説明を求めたところ、「これは和製ウエスタンをイメージして書いたもので、主人公が馬に乗って町をさびしく去ろうとする情景だ」とのこと。 この詩からそんな情景は浮かんでこないと私は食い下がり、さらに「両手をグルグル回したら手綱を取れない。それじゃ落馬します」といったが無視された。皆さん、私の意見どう思われるか。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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