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あれやこれやの思い出帖

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26 モージャとは俺のことかと猛者が言い
2006年6月30日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 かつて陸上競技の世界大会が行なわれた時、放送席にゲストとして招かれた人が、「こうして世界のモージャたちをメのあたりに見れるのは、いわゆる一つの幸せですねえ」と喋っていた。「メのあたりに見れる」は「目(ま)のあたりにする」ことだと察したが、はてモージャとは何だろかと悩んでしまった。
 亡者どもが集まって競技するはずがない。第一、彼らの姿はT?に映らないだろう。日本テレビは何を血迷ったのかと憤慨するうちに、モージャは猛者(もさ)のことだと気付いた。アナウンサーもモージャだったのか、別に訂正しなかった。
 このミスター・モージャ野球監督はゲームの終盤に中継ぎと抑えの投手を決めて繰り出し、これを「勝利の方程式」と称した。それを言うなら「勝利の方式」だろうが。しかし、この言葉は一人歩きしてしまった。
 野球放送は耳障りな言葉の宝庫で、バントをバンドと言う解説者は何人もいる。バンドを締め直し、更めて基礎から勉強しておくれ。
 許せないのは「ゲキを飛ばす」こと。アナウンサーもこう言うし、新聞でも見出しに使う。どうやら「激励する」ことだと誤解しているらしい。「ゲキ」とは「檄」、古代中国で人々を招集または説諭するための文言(もんごん)を記した木札のこと。「檄を飛ばす」は急いで人々を呼び集めたり、自分の意見を知らせて人々の同意を求めることだ。「激励する」意味は全くないと私は檄を飛ばして誤りを正す。
 このごろは須く(すべからく)を「すべて」の同義語と誤解して使う人を見かける。以前、雑誌『噂の真相』の編集後記でも見つけたことがある。「須く」は下に推量の助動詞「べし」を伴って「当然なすべきこととして」の意味で用いられる。須くこの使い方を守るべし!
 今は消えてしまった言い方では、「いらっしゃいまし」がある。谷中に住んでおられた寄席文字の第一人者橘右近さんを訪ねた折、「いらっしゃいまし、雷(らい)様が来そうなこんな日にわざわざどうも」と丁重な御挨拶を頂いた。1960年ころの話である。
「いらっしゃいまし」を懐かしく聞いたのは、このころ既に「いらっしゃいませ」が席巻していたからである。母は「まし」派だった。「まし」が消えたのはいつごろだったのか。
「先(せん)を越される」も今は、「さきを越される」時代になった。本を書く場合、私は必ず「せん」とルビを振る。うっかり「つい先(せん)だってのことだが〜」と言うと、この言い回し自体を知らない若者たちがいて、必ず怪訝(けげん)な顔をする。
 ただし、「先立つ不孝をお許し下さい」は「さき」である。だが孝不孝を云々する世の中でなくなり、こんな殊勝な言葉を遺して死んで行く若者はいない。
 言葉について爺さんはこれからも書く。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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