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あれやこれやの思い出帖

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25 風を食えば出るのはハ行第四段で済む
2006年6月23日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 上野公園の片隅にへばりつくように住んでいるため、買物が不便。膝や腰の痛い身には辛い。ある日、例によって家内のお供をして買い出しに行ったが、あまりの重さに上野からタクシーで帰る破目になった。
 車中、家内に「これだけ買ったって一週間もしないうちに、みんなUNKOになっちまう。考えるとむなしいな」としみじみ述懐したのが運転手さんに聞こえて大笑いとなった。
 今の世の中、美味(うま)い不味(まず)いを論(あげつら)い過ぎる。TVに出る連中が、したり顔して「このソースはお肉の味とビミョーにマッチして」などと言うのを聴いた途端にチャンネルを変えるのは、スポーツ、ニュースがサッカーを映し出した時と同じである。ちなみに私は野球と相撲が好きで、サッカーは嫌いだ。
 父の「何を食おうと出て来る物は同じやろが」という言葉は名言だ。私たち兄弟や孫はこれを拳拳服膺(けんけんふくよう)するにとどまって、ついに「教育勅語」に至らなかった。
 落語『酢豆腐』の中で、町内の若い衆(し)が集まって、酒の肴をあつらえようとしたが金がない。いろいろ名案、奇案が出たが、笑わされるのが「どうでい、みんなで物干しぃ出て、風を食らうってぇのは。第一(でえいち)腹にたまらなくって衛生にいいや」という案。
 飽食の時代にはいいかも知れない。ところで、風じゃなくってお日さまの光を食べようとした人がいる。本当の話だ。
 北宋の政治家蘇軾(そしょく・1036〜1101)は、国政改革をめぐって新法党と旧法党が対立した時代に官界入りしたため、浮き沈みが激しく、二度も僻地に流されて食うや食わずの日々を過ごさざるを得なかった。
 その間、二千八百首もの詩と多くの散文を作り、一方では医学や薬学にも詳しい多才の人だった。同時に食べることが大好きで、料理の達人でもあった。彼の号を冠した「東坡(とうば)肉」は豚をじっくり煮込んだ料理で、今に伝えられている。
 中国の最南端の海南島に流刑となった時、彼はひもじさのあまり、「洛陽の深い洞窟に落ちた人が、蛇や亀が首を東に伸ばし、日の出の光をもぐもぐ噛み砕いているのを見て、それを真似したところ、空腹感がなくなり、体力も増したという。島では米の値段も騰(あ)がり、食料も乏しい。この方法を蘇過(三男)に教えてやろう」と書いている。(『東坡志林』)。
 本当に親子して日光をパクパクしたかどうかは知らないが、逆境にめげない楽天的な彼の資質がよく窺える逸話だ。
 こんな時、私ならどうするんだろうか。風上に向かって大口を開き、文字通り風を食らって島から退散したに違いない。それに風なら、出るのはハ行第四段だけだしネ。紙が要らない。
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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