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あれやこれやの思い出帖

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24 プラスチック看板、もう嫌だ!
2006年6月16日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 昔の町並にあって今の町並にないのは、品格というと大袈裟になるのならば、落ち着きと言い換えてもいい。どうしてそれがなくなってしまったのか。あれこれ考えているうちに、ふと気付いたことがある。
 まずプラスチック製看板の氾濫だ。これほど安手な物はない。渋谷や新宿、池袋の雑踏を嫌って、家内と時々出向くのは銀座で、ここは数年前までは、他の町に比べると落ち着いた雰囲気があってよかった。
 ところがどうだろう、最近の銀座には黄色の馬鹿でかいプラスチック板に、これまた馬鹿でかい黒文字で店名を書いた薬屋の看板が出現して、表通りの景観を一変させてしまった。
 これに加え、ビルの屋上には、TVCMに出るたび、私が思わず目を背ける老女の大看板が掲げられていた。途端に私は激しい眩暈(めまい)に襲われて、尾張町(今はその名もない)の交叉点を半分渡ったところでしゃがみ込んだ。
 かつて鉄道沿線に琺瑯(ほうろう)塗りの絵看板が立ち並び、せっかくの田園風景をぶち壊しているのに腹を立てた私だが、もう我慢も限界に来ている。
 看板の大きさも制限すべきだ。神田、新橋、高田馬場駅前は高利貸しの大看板が、これでもかこれでもかとばかり立ち並び、さらにパチンコ屋が加わっている。今のパチンコは一万円なんか、あっという間に消えてなくなる。彼らは暗黙の裡に互いに店舗を構えたと私は勘繰る。今に必ずお寺の隣に病院を競って建てるに違いない。双方、商売にプラスになるからネ。
 余談だが、三遊亭圓歌師匠は「あたしゃ寺で修行中に心筋梗塞を起こしちまって、病院に担ぎ込まれたよ。普通のコースとは逆だ、へへへ」と笑っていたのを思い出した。
 品下がれるものの一つに、学校建築がある。根岸小学校は御行の松にちなんで、煉瓦色の校舎の端にコンクリート打ち放しで松を刻んである。これが建築全体の調和を崩している。戦時中、痛い目にあった恨みで言うんじゃ決してないが(?参照)。
 谷中小学校も気に入らない。寺町にあるからといって、所々に瓦を乗せても、建物全体を見るとそこだけが浮いている。御行の松に近いから松、寺町だから瓦、というのは些か安直じゃないか。
 さらに建物の色彩の問題がある。目立てばいいと好き勝手な色にされるのは叶わない。試みに御徒町駅を出て昭和通りに立って見てはいかが。紫色の建物がいくつも並び、異様な情景が出現する。
 遅まきながら行政も気付いて対策を講じ始めたようだが、善は急げ、老人をやきもきさせないで頂戴。私がこう言うのは、単に昔の東京がよかったという回顧趣味からではない。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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