15、汚な爺は酢豆腐が大嫌い
汚な机の前で汚な手に汚な鉛筆を持ち、汚な字を書く。そいつは汚な面(づら)した汚な爺で、汚な家に住み、いつも汚な服を着て、暇な時は苦虫を噛みつぶしたような顔をして、近所を徘徊する。まるで汚ない国から汚ない物を広めに来たような男だ、と友人たちに言われているのは、誰あろう、この私だ。
『谷根千』読者が上野桜木でこんな老人を見かけたならば、それは間違いなく私。遠慮しないで「坂口さん?」と声をかけていただきたい。虫の居所によっては「アッカンベー」(14参照)をやるかもしれないが、今はもう人畜無害ゆえ、心配はない。
こんな私だが、良くしたもので、たった一つだけ取り柄がある。それは絶対に知ったかぶりしないことだ。知らないことははっきり知らないと言い、謙虚に教えを請う。
だから落語『酢豆腐』の主役、表通りの変物(へんぶつ)で通る若旦那のように、知ったかぶりしたために豆腐が腐って黄色くなったのを食べさせられたことはないし、もっと食えと迫られて「いやぁ、酢豆腐は一口に限りやす」と苦しい言い訳をしたこともない。
この噺(はなし)から、「酢豆腐」あるいは「スドちゃん」は知ったかぶりする気障(きざ)な奴、いやな奴の代名詞になった。
私もこんな奴のお近づきになりたくないんだが、運悪くごく身近に二人もいたから堪らない。一人は「クラシック音楽はお好きですか」と訊かれると、一度も聞いたことがないくせに、「ええ、大好きです」と答える。そうとは知らない相手は、作曲家では誰がお好きかと訊ねる。すると「ええ、クラシックですね」と言う。運悪くその場に居合わせた私は、そっと席を外した。
さらにもう一人は、私の次男と甥がしゃべっているところに口出しして、さも知っているかのように能書きを垂れる。的を射ているなら許せるが、それがおよそ見当違いな内容だとは、私でもわかる。今度は話を逸らさずに終いまで聞き、その男が帰ってから三人で大笑いした。
「あいつら、大蛇をうわばみっていうのは何でかと聞きゃあ、宇和島の人をバミったからと言い出しかねないぜ」。
「矢が中(あた)ってカーンと音がしたからヤカンという口だな」。
ヤカンとウワバミ、落語ファンならとうにご存知だから、ここではあえて蛇足を加えない。
この話を家内にしたら「人が悪い」と叱られた。いつもの例で私は「はい」と謹んで承(うえけたまわ)ったが、疑問が残る。知ったかぶりと人の悪さ、どっちがイケナイことか、私にはわからない。私は健康だが頭だけは悪い。誰か教えて下さいな。
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