14、コーサイカイのコーヒー
コーサイカイと書くと、何やら怪しげな男女の集まりか、と早とちりされるかも知れないが、これは鉄道弘済会のこと。
一九三二年に旧国鉄が設立した財団法人で、公傷退職者・永年勤続者とその家族・遺族、殉職者の遺族の救済を目的とし、いろいろな事業を行なっていた。
その一つに駅構内で経営する喫茶店がある。上野駅構内の山下口へ抜ける通路の左側にも一軒あった。父と二人で下谷神社の側の糠沢歯科によく通い、帰りは必ずここに寄ってコーヒーを飲む。満四歳のころである。
ここのマスターとすっかり顔なじみになり、歯を腫らしている時は、黙っていてもアイス・コーヒーが運ばれてくる。マスターは色白で小肥り、粋な感じの人だった。彼はいつも入口のレジの傍らに立って、てきぱきとウェイトレスに指示を与え、用がある時は釣鐘状のベルを押す。すると「チン」と音がし、ウェイトレスが駆け寄る。
「あれは面白そうだ」と私はチョコチョコとレジに近づいて、背伸びしてベルを押す。マスターが呼んだと思って飛んできたお姉さんに、すかさず「アカンベー」。可愛げないいたずらにも、彼女たちは苦笑するだけだった。
この店でもう一つ、父を困らせたことがある。楊枝入れを振って、三、四十本くらい出し、それをテーブル上に並べる。それだけならまだ良い、いや良くないか、次に自分が使った爪楊枝の先を拭ってその中に混ぜるのである。父にこっ酷く叱られ、しばらくは連れて行ってもらえなかった。
上野広小路には週に三、四回は出かけた。それも夜八時過ぎからのこと。広小路は露店が並び、アセチレン灯で昼間のように明るい。そして、「永藤」に入ってコーヒーと、大好きなホットケーキを注文する。ここのご主人と、挿絵画家の伯父とは親友で、一緒に撮った写真があったのを覚えている。ご主人は利三さんといい、伯父は「トシちゃん」と呼んでいた。
ある日、母に連れられてコーヒーを飲んでいるところに御主人が見えた。私は「トシちゃん、お店のホットケーキおいしいね」と言う。慌てた母に「めっ!大人にそんな口をきいちゃ駄目よ」と、これまた酷く叱られた。
帰りは歩きくたびれて母におんぶする。「笹の雪」の横町の一つ手前を左に折れて、山本という洋服屋さんの裏手を通る。ここで決まって母は、「今夜はおいしかったかい」と訊く。「うん」と答えると「どのくらいかな」と言う。私は背中で両手をいっぱいに広げて「こ〜のくらい」。母は嬉しそうに「良かったわね、じゃあまた連れてったげよう」。
懐かしい記憶である。
やい、息子たち! 今は汚い爺になっちまったが、親父にもこんな可愛い時があったんだぞ。何、可愛くないって? ああ、そうかい、アッカンベーだ。
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