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あれやこれやの思い出帖

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10 匂いに対しては音で応えるべし
2006年3月10日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 『あれやこれやの思い出帖』の草稿を、時々大学時代の友人たちに読んでもらうことがある。前回は彼らにバカ受けした。弟たちより頭はよくないが、その代わり美貌に恵まれていると父に言われた箇所だ。
 「お前が事実二枚目なら嫌味に聞こえるが、そうじゃないから洒落になる。なかなかいいじゃないか」と異口同音の答え。これを喜んでいいのか悪いのか、私にはよくわからないが、彼らは老いても洒落だけはわかってくれる。

 洒落を解せない奴は手に余る。私の子供たちに対する教育方針は「洒落がわかる男になれ」だった。が、これが思わぬ失敗になり、家内に呆れられたことも再三あった。
 次男亜紀(つぐとし)が五,六歳の頃、トロリーバスに乗ってよく上野の水上動物園に連れて行ってやった。二階のアロワナ(南米の川魚)の水槽の独特な臭気が今は懐かしい。帰りは不忍通りを抜けて上野広小路に出る。いつもいい匂いがしたのが鰻の「伊豆栄」本店だ。
 私は店先に立ち止まり、その匂いを息子と一緒に堪能した。「おいしそうな匂いだろ」と私、「うん、おいしそう」と息子。そこで小銭入れを取り出して、ジャラジャラとやった。
 「何でそんなことするの」と息子が訊く。「無料(ただ)でいい匂いを嗅いじゃいけないんだ。こうすりゃお店の人も、ああ御礼をしてくれてるんだな、とわかる。いいか、お前、礼儀知らずになるなよ」

 これがいけなかった。息子が家内と二人で観音様にお詣りした折、ある鰻屋の前で彼はつかつかと店先に歩み寄り、ジャラジャラとやらかした。びっくりした家内に、息子はお父さんからこうやれと教わったと白状してしまった。
 実は私には前科がある。長男一紀(かずき)がやはり五、六歳のころ、仲見世の揚げ饅頭屋の店先で、家内の前でジャラジャラやらかしたことがある。これは以前、天ぷら屋「三定」の通りすがりに私が教えたせいだった。天ぷらの匂いと揚げ饅頭の匂いの違いが、幼い子には区別がつかなかった。

「あなた、子供に変なこと教えないで下さい」。
「いやぁ、済まない、済まない。決して悪気があってしたことじゃない」。
「悪気があろうとなかろうと、いい大人が子供に教えることですか」。
「ボクはただ、礼儀知らずの人間になってほしくないと思って」
 と言いつつ、だんだん私の声は小さくなっていった。が、幸いなことに家内の目は笑っていた。よかった、彼女もまた洒落がわかっている。お蔭で無事四十三年・・・。

 孫娘にも教えてやろうと計画しているが、その機会がない。九歳の子に今度はどんなことやらかせようか、これが今の私が抱える最大の難問である。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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